内容説明
「できなかったことができる」って何だろう?
技能習得のメカニズムからリハビリへの応用まで――
・「あ、こういうことか」意識の外で演奏ができてしまう領域とは
・なぜ桑田真澄選手は投球フォームが違っても結果は同じなのか
・環境に介入して体を「だます」“農業的”テクノロジーの面白さ
・脳波でしっぽを動かす――未知の学習に必要な体性感覚
・「セルフとアザーのグレーゾーン」で生まれるもの ……etc.
古屋晋一(ソニーコンピュータサイエンス研究所)、
柏野牧夫(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)、
小池英樹(東京工業大学)、牛場潤一(慶應義塾大学)、
暦本純一(東京大学大学院)ら、5人の科学者/エンジニアの先端研究を通して
、「できる」をめぐる体の“奔放な”可能性を追う。
日々、未知へとジャンプする“体の冒険”がここに!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
140
伊藤先生ならではのとても興味深い一冊。ピアニストや桑田投手などを題材とした先端研究や脳の機能などを紹介しながら、「できるようになる」とはどういうことかを考える。「体は完全に意識の支配下にある」という仮説の誤りが検証される。「あっ、こういうことか」と体で気付くことの大切さこそ、人間の、そして教育の原点ではないかと思う。あとがきの「本書の目的は能力主義から「できる」を取り戻すこと。能力主義によって「できる」醍醐味が奪われた。「できるようになる」過程は、人を小さな科学者に、そして同時に文学者にする」も素敵だ。2023/05/29
アキ
137
以前から不思議に思っていたピアニストのあの信じられない程の指の動きは、脳を介したものなのかという疑問。できないことができるようになる時に、脳ではなく体の側から論じた本書は、頭と体の関係を体系化されたものではなく、ある程度「ユルい」ものであることを示している。ピアニストのタッチを体験するエクソスケルトンは、意志から離れて自動で動く手。体験したお子さんの「あ、こういうことか」と言う言葉から、体に先を越された意識の有り様が推測できる。今後VRなどのテクノロジーが発達するにつれ、体と脳の研究は深化するのでしょう。2023/03/21
けんとまん1007
101
できた・・・と、そう思う経験を、何度かしてきた。その時の気持ちを想い出す。その瞬間、身体がとても軽くなったように思える感覚があった。そのあとから、頭で考え始めたような感覚。それを支える新たな研究とテクノロジーで、どれもこれも、とても興味深い。そのスタンスが、自分の志向性にあっている。そっと外部から支えるというもの。そして、人とテクノロジーとの接点を支える視点。最後のほうにあった「AIの時代には、プログラミングよりも日本語能力が大切。きちんと論理的に表現する能力」・・そのとおりだと思う。2023/01/16
はっせー
93
体や認知について興味がある人やテクノロジーの進化を知りたい人におすすめの本になっている!そして相変わらず伊藤亜紗さんの本はどの本を読んでも面白いと改めて感じた!この本は伊藤亜紗さんが5人の理系研究者にインタビューをしてその内容をまとめたものになっている。ピアニストの指やピッチャーのフォーム、見ないしっぽの動かし方などなど。どれも個性的な研究かつ新しい知識を得れる。この本の根底に流れているのはできるとはどういうことなのか。そのプロセスに視点を当てている。皆さんもぜひ読んでみてほしい!2022/12/19
どんぐり
88
指に装着したアシスト機器でピアノを弾く、他者の身体を通して自分の分身を作ることができるカメレオンマスク、声を失った人が超音波プローブで話せるようになる機器など、テクノロジーを利用して「できない」から「できる」体になっていく。どこからができて、どこからできないのか、どこからが自分で、どこから自分でないのか。その部分に光を当てた身体知を解きほぐす。この本にはChatGPTは出てこないが、先ほどの問いのどこからができて、どこからできないのか、どこから自分で、どこから自分でないのかがますますわからなくなるね。2023/06/01