内容説明
殺人犯が少年だとわかるたびに,報道と世間は実名・匿名,社会・個人の責任,加害・被害の間で揺れ,「少年」像は戦後から現在まで大きくシフトした.白昼テロ犯・山口二矢から,永山則夫,サカキバラへ,そして「少年」が消えた現在までをたどり,成人年齢引き下げの中,大人と少年の境の揺らぎが示す社会のひずみを見つめる.
目次
プロローグ
凡例
第1章 戦後復興期 揺籃期の少年事件 少年事件は、実名で報道されていた!
第2章 経済成長期 家庭と教育の少年事件 少年事件とは、子供の事件
第3章 バブル時代 逸脱の少年事件 メディアの「型」から外れる少年たち
第4章 バブル前後 曲がり角の少年事件 子供だましをしていた捜査機関や司法
第5章 平成初期 少年と死刑 18、19歳をめぐる死刑存廃論
第6章 少年事件史の転成 加害者の視点から被害者の視点へ
第7章 21世紀の精神鑑定 発達障害の時代 「環境」責任から「個人」責任へ
第8章 少年事件の退潮 市民が少年を裁く時代に
補記
最終章 少年事件を疑う 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す
参考文献
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
104
戦後の少年犯罪の歴史を検証し、捜査と司法と報道による少年法制の取り扱いの失敗を明らかにする。少年法が事実認定の曖昧な欠陥法と知りながら加害者の更生を優先して手をつけず、自白強要や冤罪を起こしたり同一事件で裁判所の判断がぶれまくり、被害者に裁判所の決定も知らされないなどブラックボックス化した現状が知れ渡り、被害者優先と犯人厳罰化を求める世論を形成していったのだ。酒鬼薔薇事件以後は加害者の匿名化は無意味になり、社会正義を掲げた不寛容化が進行している。いずれネット世論が少年の量刑を決める時代が来るかもしれない。2023/02/18
skunk_c
70
戦後の「少年」事件がどのように新聞で報道されたかを追いかけながら、それがその時代の流れで揺らいできた様子をルポしている。副題にあるように「大人たちは理由を探す」、つまり本質ではなく様々な状況(それこそ新聞が売れるかとか)によって「少年」(これもまた時代によって対象がずれていく)の扱いが変わっていく。その中で一番恐ろしいなと思ったのは、最近のSNSなどによる拡散。たとえ根拠が確かめられていなくても、「実名」やら写真やらが晒されることにより、事件が一人歩きして拡散される。私見としては拡散する人の気が知れない。2022/09/30
遊々亭おさる
25
戦後から現代までの少年と呼ばれる年齢層が起こした重大事件を素材にして、新聞報道と司法による犯罪少年へのスタンスの変化を読み解き、各々の時代が示した少年像を浮き彫りにした一冊。貧困・虐待・政治的な思想・発達障がいなどの精神疾患…。少年が人を殺す度に世間は犯行に至った要因探しに躍起になり、時には時代の被害者として同情し、時には我々とは根本的に違うおぞましき怪物として忌み嫌う。加害者(家族)の視点から被害者(遺族)の視点へ。守られるべき存在から大人と同等の裁かれる存在へ。良くも悪くも少年は時代から逃れられない。2022/11/15
崩紫サロメ
25
報道のあり方から少年犯罪を辿る。戦後間もないころは、「少年」を大人と区別することなく実名報道がされていたが、1958年に「(加害者の)親の立場にたって」報道することが日本新聞協会で定められる(2022年まで)神戸の酒鬼薔薇事件は少年事件史の転機となり、加害者中心から被害者中心へと視点を変えていく。これ以降環境よりも「個」としての「少年」に注目し、精神鑑定が行われるが、これにも時代の流行があり、科学的でないことを指摘。2010年代に入り、加害者を少年として特別視する傾向は弱まっていく。2022/11/01
テツ
19
どんな時代だろうが社会だろうが一定数の逸脱してしまうガキはどうしたって存在していて(ガキ以外でもね)そいつらがやらかした理由ってほとんど全てが個人の資質に由来しているのだと思っているけれど、善良な市民はそれに納得出来ず不安になる。やらかしてしまう人間の根源なんて探っても仕方がないだろうに。それは一般化できない部分だろうし、分解してみても似たような犯罪の抑止にはならない。大人として社会として彼らにできるのは、淡々とルールに則りやらかした罪に見合う罰を与えることだけだ。2022/11/01