内容説明
ファノンやグリッサンの師であり、クレオール世代の偉大な父であるセゼール。ブルトンが熱讃した真の黒人詩人がたたきつける、反植民地主義の熱い叫び。ネグリチュードの聖典。解説=真島一郎
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かふ
24
散文詩「帰郷ノート」はボードレールらの象徴派の詩の影響を受けながらシュールレアリズムに近づいていく。そのときにブルトンの称賛(序文)を受けて権威的になってしまったのではないのか。ネグリチュードというアフリカの根源性(精神)に反ヨーロッパを見る限り逆に排他的な原理主義に陥ってしまう。もともと政治的な人だけに「植民地主義論」はアジテーションが上手いのだ。そのことによってマルティニークの黒人奴隷の独立を促したのだが、政治を進める余り妥協せねばならなくなり、それがフランス支配の白人政治に寄り添うことになっていく。2024/09/09
スミス市松
13
この長編詩によって二十世紀の流れはある意味で確かに変わった。しかし同時に私たちがいま生きているのはこの詩をもってしてもなお崩すことのできなかったおぞましさを秘めた世界である。のちのアンティル性およびクレオール性論者たちからセゼールの外在的な「アフリカ」への志向性は強く批判されることになるものの、今回改めてこの詩を読んで感じたのは、セゼールのネグリチュードとは黒人文化の価値形成や民族自決のための道具としてではなく、まずもって“自分が人間であること”を発見するための個別的かつ跳躍的な試みであったということだ。2015/05/19
oDaDa
3
「今度は私がひとつの方程式を提案する番だ。植民地化=物象化と。」『植民地主義論』p.147 「しゃがみ込んでいた黒ん坊は 思いがけずすっくと立つ…太陽の下ですっくと立つ 血の中ですっくと立つ すっくと立ち そして 自由だ」『帰郷ノート』p.109 「セゼールと私が来るべき時の偉大なる予言者と看做す者、そうだ、イジドール・デュカス、ロートレアモン伯爵の姿が現れたのだ。「ロートレアモンの詩、収容命令のように美しい……。…」エメ・セゼールの言葉、生まれ出ずる酸素のように美しい。」p.21 アンドレ・ブルトン 序2022/12/22
moti moti
1
ボロクソに批判した政治家にわざわざ注をつけて「それほど悪人ではなかったが、この時は気が立っていた。」って感じでフォローしてるところが好き。この本を読んでいる時にニューカレドニアでの暴動(反乱と言うべき?)が起こった。70年前に書かれたこの本と現在は地続きだということを改めて突きつけられた気分になった。2024/05/29
Yoshizu_mi
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訳者は政治家としての彼の事はあまり書きたくないと言っているけど、矛盾こそがセゼールを一人の人間として完成させているんじゃないかしらと思った。矛盾なく一貫した思想を生涯貫くというのは並大抵の事じゃないし、人間味に欠ける。2016/09/01