内容説明
明治~昭和期の雑誌記者・言論人。政教社を設立し、政治権力から距離をとりながら、社会の事象を雑誌『日本人』などを舞台に論じる一方、独自の思想で日本・日本人像を模索し続けた。晩年に時局を肯定するなど批判精神が失われた起因を探り、従来評される国粋主義者でない稀有の言論人として、近代日本の歩みを体現した生涯を描く初の本格的伝記。
目次
はしがき/「因循」なる加州人(幕末の金沢に生まれる/家族と家系/金沢時代の修学/名古屋を経て上京する)/書生社会から「学生的官吏」へ(東京の書生社会/東京大学文学部哲学科/「学生的官吏」/「官吏の辞職は身の為なり」)/『日本人』記者(政教社設立の「同志」/記者三宅雪嶺の誕生/南洋巡航と花圃との結婚/雪嶺哲学の原型/対外硬運動と日清戦争)/洋行とその前後(「思想の独立」と「一貫の気風」/「一国の特性」を模索/初期政教社の終焉/世界旅行/日露戦争と『日本』退社)/『日本及日本人』主筆(「敵なき記者」として/『宇宙』と『世の中』/「デモクラシー」の陣営/新しい思想への理解/政教社退社)/「哲人」か「偶像」か(「我観」を語る/晩年の日常生活/「非常時」の言論/「言論報国」のとき/敗戦とその死)/略系図・略年譜・参考文献
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
Book Lover Mr.Garakuta
8
激しい人生を過ごすが、時代の嘲弄に飲み込まれたんだと思う。過激派の代表的存在か。2019/11/10
Ohe Hiroyuki
5
三宅雪嶺は。幕末から明治大正昭和の敗戦まで生き抜いた。何度も発禁になりながら雑誌の発行を継続していることは、驚嘆であり、近代のリアルを示している▼三宅雪嶺は、金沢出身であり、東京大学(帝國大学の前身)文学部哲学科卒業である。卒業後は、東京大学編輯所に勤め、宮崎道三郎、小中村清矩らと同じ所属であったという。三宅雪嶺のスタートは哲学であった。▼哲学に基礎を置き、世情について語る三宅雪嶺の言葉は多くの人々にとって参考になったのであろう。晩年には批判精神が失われた、とあるが、晩年まで言葉を発していることがすごい。2025/04/26
Ryosuke Kojika
3
動機は単にゼミの先生。学問に誠実に取り組み始めたのは院に行ってからです。なので、あまり著者の研究にも関心が薄い駄目門下生。そんな私の感想。記者としての三宅を再評価すべしという意図から、生涯を描いているが、何故、当時一流の記者として評価を受けたか分からなかった。三宅の著書を読んでることが前提なのかな。一流の評価を受けながら、大戦に迎合する記者は一流なのか。その分析が、筆を折るか、折り合いをつけるかという選択肢からしょうがないでは、ちょっと消化不良。自分が読み込めてないのかも。2021/01/25
あまたあるほし
3
いまだ体型的に整理されていなかった三宅雪嶺の思想と生涯を丁寧に追った名著。2020/10/11
バルジ
1
再読。三宅雪嶺を東京の「書生社会」や東京帝国大学での学問を通じた「哲人」に基礎を置く点に本書の特徴がある。雪嶺は「研究」と「評論」の2つの道が取り得た。最初は研究一本だが官僚社会の雰囲気に嫌気が差し、「評論」へと踏み出す。しかし研究を止めた訳ではなく、時論を発しつつも並行して自身の哲学的思考を深めていく。この哲学的思考は雪嶺にとって明誠を得るに足る成果は出なかったものの「評論」活動における重要な土台となった。晩年は時局に迎合し往年の言論のキレは無くなるも、明治大正昭和を駆け抜けた大記者である点は変わらない2024/09/01




