内容説明
「私の話を信じてほしい」哲学研究者の著者は、傷を抱えて生きていくためにテキストと格闘する。自身の被害の経験を丸ごと描いた学術ノンフィクション。
目次
まえがき
第一章 性暴力と
第二章 生き延びの経験
第三章 回復の物語を手に入れる
第四章 支援者と当事者の間で
第五章 研究者と当事者の間で
第六章 論の立て方を学ぶ
第七章 私は当事者ではない
第八章 再び研究者と当事者の間で
第九章 語りをひらく
あとがき
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
86
被害者と加害者の対話を中心にして問題解決を目指す「修復的司法」の研究者が書いたエッセイ。性暴力被害者の支援活動にかかわり、19歳の時に遭った自身の性暴力被害をカミングアウトし研究を続ける。当時の性暴力を受けた物証はなく、目撃者もいない。あるのは本人の記憶だけ。そのことに、「私は〈本当の性暴力被害者〉ではないかもしれない」「私は嘘をついているかもしれない」「あとから捏造された記憶かもしれない」という自己懐疑に囚われ、性暴力被害の当事者を名乗るのにためらう、または「性暴力被害者」と括られることに抵抗を示す。→2023/12/19
ネギっ子gen
54
【私は、痛む傷を抱えながら生きているサバイバー】 本書冒頭で、性暴力被害者にして修復的司法の研究者である著者は、<私はずっと本当のことを語ることが怖かった>と書く。<私が修復的司法の研究を始めたことは、自分の被害体験と深く繋がっている。私は被害者だから加害者との対話に興味を持った。その、とても自然で当たり前のことが、私には言えなかった。「加害者と対話することを望む被害者」。私は、そのようなラベルを貼り付けられることに耐えられなかった>と。この題名に込められた重い問い掛けを受け止めつつ、読んだ――。良書。⇒2022/11/11
ま
34
多分タイトルが物議を醸す本。「私(たち)は、『心の傷が癒やされるべき存在』として、矮小化されていないだろうか。私(たち)はたしかに傷つき、死にかけ、生きることもやっとで弱々しく傷つきやすい存在である。しかし、私(たち)の生はもっと多様で豊かな世界に拓かれているのではないのか。」(p86)支援者の一方的な眼差しに対して異議申立てした研究者のこれまでの歩み。2022/12/01
りょうみや
25
著者は性暴力の被害者であることをカミングアウトした修復的司法の研究者。著者が被害にあってから今までの「当事者」としての立場とそれと相容れない部分がある「研究者」「支援者」としての葛藤を描くライフストーリーとなっている。研究者としてその時々の自分の内面を分析した深い記述は引き込まれるしただただ感銘を受ける。今の自分に足りないものにいくつも気付かされた一冊。2022/03/24
かふ
20
性暴力被害者である著者が研究者になるエッセイでサバイバー(この言葉も初めて聞くが性暴力を克服し?生き延びた者)である彼女が性暴力の共同体体験から一般的な研究者になるのだが、研究者が精神分析医のように一般解で処理するのに腹を立てたことから研究者になろとする。そこの部分でかなり感情的なエッセイで、この人は研究者になれるんだろうか?というぐらいに感情の起伏が激しい。それは読者を選ぶのだと思う。彼女がケータイ小説を書いていたときに共感してくれた読者(実体験で性暴力を感じる読者だらろうか?)に宛てて書いているという2024/10/13
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