内容説明
開戦直前にアメリカへ留学した日本人神学生を主人公に、現代まで通じる差別、分断、憎悪、格差などを鮮やかに描き出す表題作。小説版の三十年後の主人公が登場する「戯曲 わたしが・棄てた・女」、劇的きわまる時代物「切支丹大名・小西行長」。長崎市遠藤周作文学館で発見された、作家が最も充実した時期に書かれた戯曲集!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
buchipanda3
102
戯曲集。未発表作3篇を収録。どの話もキリスト教の信条が背景にある。その中で「善きこと」とはいったい何かというのを著者が切々と問い掛けているように感じられ、読みながら心を揺さぶられた。表題作ではトムという牧師補と阿曽という神学校の留学生の関係が描かれる。二人は同じ宗教を信じる間柄だが、トムは自分が信じる善意を阿曽に押し付ける形となり、彼らの間に心の隔たりが生じてしまう。それは太平洋戦争で二人が対峙した時にも埋まることはなかった。自分もどこか表面的な善きことに囚われていたりしていないだろうかと思ってしまった。2022/04/22
ケンイチミズバ
98
自殺を固く禁じる教義を理由に武士としては恥をさらし、自決しない行長は秀吉に面従腹背で生き延びた。右近のように潔く大名を棄て宗教を選んだ生き方を羨ましく思ったが、彼には彼のクリスチャンとしての生きざまが最後の最後にわかります。卑怯者と罵られてもその十字架を背負い地にはいつくばって生き延びる姿こそキリストの民、神の子であり、首枷に裸馬でのさらし者の後、斬首はイエスと同じではないか。そして侍女のあかねは真の理解者ではあるが、神に背き背徳の愛を抱いた彼女もまた罪びと、悲しき人間でした。それにしても秀吉、クズ。2022/05/11
kaoru
82
再掲です。遠藤周作の未発表戯曲3作。『善人たち』は日米開戦前夜にアメリカ・オールバニ―に留学した日本人を通じ当地のキリスト教徒の偽善を暴き『鉄の首枷』は切支丹大名小西行長の生涯を描く。『私が・棄てた・女』は同名の小説の戯曲化。『鉄の首枷』では潔く信仰に殉じた高山右近や細川ガラシャに比べ「俗世の渦」に生きた行長はガラシャに「よごれ、よろめき、ひざまづき……なお生きつづけて闘うこと」を勧める。3作に共通して言及されるのはイエスの捕縛の際に彼の弟子であることを三度否認したペテロ。生涯を通じてキリスト教に→2022/06/08
とろ子
9
遠藤周作没後25年にあたる2021年12月28日、長崎市が長崎市遠藤周作文学館で未発表の戯曲3本が発見されたことを発表。題は編集部がつけたものとのこと。 「善人」ということは3作品に共通しているテーマだと感じた。「善人」とは?「許す人」?2022/06/06
peace land
8
表紙が舟越保武氏の「聖クララ」そのことに感激。 戯曲は普段読まないのに、この3作はとても興味深く読めた。善人たちが一番強烈だった。今も同じことが起こっているから。2022/09/24