筑摩選書<br> 現象学という思考 ──〈自明なもの〉の知へ

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筑摩選書
現象学という思考 ──〈自明なもの〉の知へ

  • 著者名:田口茂【著者】
  • 価格 ¥1,705(本体¥1,550)
  • 筑摩書房(2021/12発売)
  • 2025→2026年!Kinoppy電子書籍・電子洋書全点ポイント30倍キャンペーン(~1/1)
  • ポイント 450pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784480016126

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内容説明

日常においてはいつも素通りされている豊かな経験の世界がある――。“自明”であるがゆえに眼を向けられることのないこの経験の世界を現象学は精査し、われわれにとっての「現実」が成立する構造を明るみに出す。創始者フッサール以来続く哲学的営為の核心にあるものは何か。そしていまだ汲みつくせないその可能性とは。本書は粘り強い思索の手触りとともに、読者を生と世界を見つけなおす新たな思考へと誘う。

目次

序章 「確かさ」から「自明なもの」へ
「確かさ」を主張するとき、心は不安に満ちている
「自明なものの学」としての現象学
現象学という思考──「確かさ」を超える知の運動へ
共同作業としての現象学
本書の性格
第一章 「確かである」とはどういうことか?──「あたりまえ」への問い
「絶対的な確かさ」と、日常生活の確かさ
「絶対的な確かさ」は生の進行を妨げる
確かさのない世界でなぜ生きられるか──専門知の信頼性
専門知と他人への信頼
生活世界と「地平」の構造
射映と「……できる」の相関的構造
非主題的経験──確かさの豊かな土壌
「自明なもの」の知とその「不自然さ」
現象学的還元
第二章 「物」──流れのなかで構造をつかむということ
「物」とは何だろうか
神でさえ物の全面を同時に見ることはできない──「構造」としての物
形の変化
「現われていない物」も構造の一部である
「現われていない物」の広大な圏域へ
経験は「当てはずれ」に開かれている
身体の非主題的意識
見る・聞く・触ることで構造を確かめる
「現われていない物」はどのように存在するか
流動する現象の形──世界と身体の相関構造
「構成」の問題──視方の転換
「還元」は無限に豊かな相関を開く
第三章 本質──現象の横断的結びつき
本質と本質直観
前提としての「円形とは何か」
不可避的な「結びつき」──「連合」の現象
共通性と相違の際立ち
「どこにでもあってどこにもない」──本質の無限性
「媒介者」としての本質
横断的現象のハブ空港
本質の不変性──距離をゼロにする変換
空想と自由変更──現象学の野望
第四章 類型──われわれを巻き込む「形」の力
われわれはいつも類型を見ている
類似しつつ連関を形成していく諸契機
受動的に働く「類型の力」
人工物と「類型の力」──坐ることを拒否する椅子
人間という類型──類型的身体
「内面的なもの」の類型的公共性
類型的理解から来る安心と不安
ノルマリテートとアノマリテート
「狂気」という類型
類型に取り込みえない私
「世界無化」の思考実験
類型を生き抜くこと
第五章 自我──諸現象のゼロ変換
見えない自我が与えられている?
類型が機能しないとき──過去・空想・未来を駆けめぐる意識
否定的経験──自明性を手放す瞬間
自我の浮上
行為から反省へ──自由と現実
自我は切れ目に現われる
眠りと覚醒──同一の自我
諸現象のゼロ変換
「媒介」としての自我
第六章 変様──自我は生きた現在に追いつけない
自我は個であって普遍である──「変様」という現象
生きられた瞬間の現実
把持的変様──流れつつ「今」が並列される動き
変様の構造──つかみえない現在を並列してつかむ
空想可能性と、比類のない原事実
否定的経験と、自我の基本形態
反省的思考の起源
反省的思考の問題点──独我論と他我論
自我的「再構成」の手前へ──行為と他者の呼びかけ
「呼びかけ」としての現象学的言語
第七章 間主観性──振動する「間」の媒介
間主観性の問題
他者は経験のうちに現われている
反省的思考モードから行為的連関のモードへ
身体の響き合い
媒介としての対化
「変様」と原様態的経験──「原自我」という不適切な名前
転換点としての身体
媒介論的視点の重要性
媒介現象の継続的作動がすべてである
自他の「差異における合致」と「相抗う統一」
避難所としての私
終章 回顧と梗概
自明性を問うスタイル
流れそのものがとる「形」──物と本質
現象の多様な結びつきと変換構造──類型と自我
「変様」現象と自我、反省的思考の起源
振動する媒介──間主観性の解釈
諸現象の媒介的接続の分析──現象学に求められるもの
あとがき
参考文献・文献案内

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

26
他レビューに「読み易い」とあったのを偶然見つけ、今回読んでみました。数日前に読んだ『つながりの作法』の綾屋、熊谷両氏の話にある、「つながらない身体」と「つながりすぎる身体」の話は、健常者にとって現象学的だといえるでしょう。機能していない自明性を捨て、自己をリアルな世界へと開くホラー映画は、まさに現象学そのままといえるでしょう。映画や美術や医療など現象学の展開は、かえって分かり易い。ところが、フッサールの現象学といえば、昔の哲学の悪いイメージのまま漢字の熟語が頻出し、前期と後期で少しずつ違うといった、言葉遊2018/06/25

cape

26
あるものがあるということ、私が私であるということ、本当にそうか。「確かさ」の裏を取ろうとすると、疑義が生じる。フッサールの現象学を解説するのではなく、それを実際にやってみせる。「物」「本質」「類型」「自我」「変様」など、どれも「確か」でない諸現象をわかりやすい事例で考えさせてくれる。こうした思考が何かを生み出す気がする。あるいは「確か」と思えるものが貴重に思えてくる。人の強さ、たくましさ、しなやかさにつながる思考だと思った。もちろん、そんな考えも「確か」ではない。2016/09/04

ほし

15
フッサールによって提唱された現象学は、いったい物事をどのように捉え、考えるのか?この本では、そんな現象学の考え方が解説されています。やや議論が入り組んでおり難しいところもあったのですが、あらゆる物事を「孤立的に実態として確保」されているものとして見るのではなく、「流れ続ける現象のなかに、その運動の参照点として現れるもの」として捉えるのが現象学の大きな特徴なのだと理解しました。特に他者との関わりを論じた、間主観性の議論には大いに刺激を受けたとともに、SNS時代のコミュニケーションの異質さを改めて感じました。2020/11/28

ポルターガイスト

7
今まで読んだ現象学入門的な本の中ではいちばんよかった。前書き読んで絶対波長合うと思って気になってたが,当たり。平易な言葉遣いで現象学の手触りをしっかり伝えてくれる。現象学そのものの入門というよりその思考の跡をなぞるような本を目指したという筆者の目論見は達成されていると思う。ただ個人的には「私」や間主観性(他人)についての章は納得ができなかった。なぜかはわからない。自分の頭では説明できないけど。たぶん「他人」の捉え方という点においておれが大きな課題を抱えているからだろう。本書の説明でそれは癒やされなかった。2022/09/06

5
途中までは著者独自の言葉で明快に解説されていたのに、自我の章あたりからだんだんポエム感が強まり、学問的な論述からはかけ離れていった......特に間主観性の章が惜しい。常識的な主客関係が未分化であるような原初的な地平を開示し、自我と他我が本来は非人称的な現象の流れそのものとして渾然一体であることを示す極めてラディカルな議論を展開する本章であるが、まさにその主張の大胆さ故に、精緻な論証を丁寧に展開しない限り、間主観性の主張はまともに相手にされないと思われる。しかし著者の記述は独断的な詩的判断の羅列に留まる。2021/09/26

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