内容説明
熊谷信昭氏のオーラルヒストリー.大阪大学の歩み,日本における工学の研究・教育,さらに大阪という地域の発展を知ることができる.
目次
序にかえて
目次
第一章 誕生から阪大工学部学生時代まで
旅順に生まれる
父・熊谷三郎のこと
教育熱心な家庭だった
浪高・大高が阪大の教養部に
浪高尋常科へ入学
尋常科時代の思い出
終戦の印象
高等科へ進学
理科を選択
大学は大阪大学へ
大阪大学工学部(旧制)通信工学科を卒業
大学卒業後の進路
父母のこと
浪高時代の友人関係
第二章 私の研究者歴
マイクロ波回路の研究からスタート
ミリ波伝送系の研究へ
レーザー光を用いた光通信への挑戦
技術者たちの努力と貴重な貢献
ドイツ博物館での体験
カリフォルニア大学(バークレー)での研究生活
新しい電磁波論の開拓と相対論的電磁理論の創始
大学の講義には全力投球
弟子の恩
若い研究者へのアドバイス
異分野間の連携・融合
自然と生物に学ぶ
脇目を振って研究せよ
「ネアカ」のすすめ
第三章 大学紛争と学生部長就任
大学紛争の思い出
学寮問題と学生生活委員会
釜洞総長の登場
学生部長に就任
学寮問題への対応
釜洞総長の思い出
学生部長としての課題
大学紛争と大阪大学
第四章 大阪大学総長として-その一
大阪大学総長に就任
キャンパス整備
財界からの支援
吹田キャンパスの正門整備
豊中キャンパスと待兼山庭園の整備
長期計画委員会の活動
大阪大学会館の竣工に寄せて
第五章 大阪大学総長として-その二
創立六十周年記念事業
大阪大学出版会の創設
ボローニャ大学創立九百周年記念式典に出席
学章・ユニバーシティカラー・礼装ローブの制定
事務局職員の人たちの協力
大阪大学後援会
学術博物館設立を目指して
叫ヶ池の取得をめぐって
大阪大学の移転構想
医学部・附属病院の移転
大阪大学中之島センターの建設をめざして
医学部附属病院跡地の活用
中之島の阪大講堂と松下会館について
大阪大学教職員懇親会の起源
第六章 大阪大学外での活動
国立大学協会の思い出
真に社会に役立つ大学とは
科学技術会議と科学技術基本法の成立
奈良先端科学技術大学院大学の創設
国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の創設と会長就任
原子力安全システム研究所の初代社長・所長に就任
兵庫県立大学の創設と初代学長就任
地域社会での活動と社会貢献
文化功労者顕彰
講書始の儀
第七章 阪大生へのメッセージ
大阪大学の源流
大阪大学の歴史と伝統
世界に拡がる阪大生の輪
良い仕事は良い人間にしか出来ない
学問も事業も人情のため
熊谷信昭第十二代総長略歴・受賞歴・主要著書
あとがき