内容説明
没後10年特別企画。入門翌年の日記全文と演目の記録
最晩年、「いずれ本になるだろう」と談志が託した若い日々の記録。
17歳の少年は、前座修業の日々を送りながら、1日も欠かさず日記帳に向かっていた。
人形町で100円小さんに小遣をもらう。しかしその場でなくす。その場で探すのも失礼だからよした。――1月20日
噺が又セコになる。どうもおかしい。大きくなりたくない。しかし時は刻々と過ぎ去って行く。あせりが出る。――6月2日
僕には、夢を追うのみで、若さを楽しむ資格がないのであろうか。その原因は落語なのだ。僕の宿命なのかも知れない。――7月9日
【著者】
立川談志
落語家、落語立川流創設者。1936年、東京に生まれる。本名、松岡克由。16歳で五代目柳家小さんに入門、前座名「小よし」を経て、18歳で二つ目となり「小ゑん」。27歳で真打ちに昇進し、「五代目立川談志」を襲名する。1971年、参議院議員選挙に出馬し、全国区で当選、1977年まで国会議員をつとめる。1983年、真打ち制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元となる。2011年11月逝去(享年75)。
目次
■日記
1953.1.1~12.30
■演目の記録
1952.11.11~1954.1.19
談志による一九九九年の追記
■後記
松岡慎太郎(談志長男)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
gtn
23
友だちと歓談し、恋に悩み、日々の芸の出来に一喜一憂する。談志師もそんな素直な一青年だったことが意外。八代目文治に年始挨拶したり、五代目左楽の葬儀に参列したのもこの年。明治の断片を現代に繋げることができたのも、十六歳で落語界に入ったからこそ。2021/11/13
qoop
10
談志17歳の日記。生真面目で一面的、片意地で書生っぽい… 意見は割れるだろうが、実に後の談志・完成形を思わせる性格が見て取れる。逆にいうと、談志は学生気分を残したまま老成したんだなと気付かされる(僕が惹かれる部分は、少なくともこういうところだ)。進もうとする気持ちと留まろうとする気持ちのせめぎ合いに、談志の青春の悩みと人生の方針を見る思いがした。7月12日などに出てくる〈何だか分からない〉は後に頻出する口癖的なフレーズを思わせて可笑しくなった。2021/11/19
LNGMN
7
駆け出し落語家、談志少年17歳の日記。ピュアでロマンチックでセンチメンタルなのがこそばゆくて微笑ましい。自尊心と迷いと、将来の夢と不安とが散りばめられた1年間。2023/12/02
tsukamg
3
立川談志が17才の時に書いた日記。高校を中退し柳家小さんに弟子入りした一年後で、つまり高校2年生に相当するだろうか。とにかく初々しい。恋しまくり。2023/01/16
オールド・ボリシェビク
2
談志も初めから談志ではなかったんだよな。小さんに入門翌年、前座名小よしは17歳である。いつも悩んでいる。女の子のことも気になってならないし、落語についても確たる自信が抱けきれないでいる。当たり前だよな、17歳なんだから。こたつに入り、背を丸めて日記を書いている17歳の少年の姿を思うと、何だかじんとくるね。浅草への嫌悪を綴っているのが印象に残った。新宿が一番だってさ。2022/05/03