内容説明
「自分は人間として許されざる者である」――心の中に孤独を抱きながら、二十代を過ごし、やがて三十歳を過ぎた頃、偶然に出会った親鸞の言葉。その時、なぜ私は「ああ、この人は自分のことを分かってくれる」「とりあえず、自分も生きていくことが許される」と思えたのか。その思想を追い続けて半世紀、わが心の内の親鸞を語る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おたま
29
五木寛之の新潮講座での親鸞に関する語りをまとめた本。ご自身の、平壌からの戦後引き上げ時、これまで封印してきた過酷なかつ生への執着から行った「悪」に関しても率直に語っている。そこから『歎異抄』における親鸞の「悪人正機」にひかれていったようだ。親鸞は極めて優れた、理論的な宗教活動家であったようだが、それよりも人々の孤独によりそう親鸞にひかれるという。どこか遠藤周作の描いたイエスの像とも重なるように感じた。非常に平明に語られた親鸞像であるが、親鸞への、あるいは『歎異抄』への入門書として手に取るのに適している。2022/04/10
まえぞう
18
既に親鸞三部作、全6巻を上梓されている五木寛之の講話をまとめたもので、親鸞に自身の体験や思索から迫ります。歎異抄が、親鸞本人の執筆によるものではないからこそ、親鸞その人がでているのではとされている点が、成る程なぁと思わせます。確かに、論語も「子曰く、・・・」ですよね。2022/04/02
乱読家 護る会支持!
8
元クリスチャンである僕は、浄土真宗にキリスト教と近いものを感じています。 阿弥陀様による救いを唱える浄土真宗は、ブッダの仏教よりは、キリスト教に近いと思います。 複雑な理論も哲学も必要無く、修行も必要無く、ただただ信ずることで「救われる」「許される」。 矛盾を含んだ社会。非情な人間社会。 社会に生きていく我々は、どうやってもなんらかの罪を犯してしまう、してはいけないとわかっていても悪いことをしてしまう。 そんな弱い存在である人間には、無条件に赦してくれる存在が、絶対的な存在が必要なのでしょう。2022/01/27
田中峰和
6
五木寛之も、89歳。長寿の親鸞の寿命90歳に近づいた。日本を全体主義に導いた北一輝や石原莞爾など、日蓮主義と同様、親鸞思想もファシズムと歩調を合わせていたようだ。日蓮主義ほど好戦的な思想ではないにしても、反戦ではなく全体主義に通底するものがあったと五木も論じる。最晩年ともいえる五木の口から、戦後の平壌から脱出劇が語られる。ソ連の囚人兵たちが歌うコーラスがあまりに美しく、印象に残り帰国後の大学進学にロシア文学を選んだ話は印象的。辛酸をなめさせられたことより、その文化への憧憬が勝ったことが彼の人生を決めた。2022/01/04
Go Extreme
5
親鸞のほうへ: 親鸞その人の息づかい 敗戦と引き揚げの体験 語りたくない記憶 「許されざる者」としての自分 悪を抱いて生きる フォークロアの親鸞像 異端としての親鸞: マウイ島移民と「白い雪」 子ども好きの「蓮如さん」 ロシア正教の異端 生身の親鸞像に近づく 断末魔のきわどい時代 他力と悪人正機: 日本人には罪の感覚がないのか 近代的な親鸞理解への疑問 親鸞思想の危うさ:『歎異抄』ブームと『愛国と信仰の構造』 日蓮思想と宮沢賢治 親鸞の「情」と「理」: 羽仁五郎さんとの対話 「情」と「理」2021/11/22