内容説明
「企業は何のためにあるのか」「企業は何をしなければならないのか」「企業はだれのものか」など問い自体が多様な解釈を許すなか、唯一の社会的責任とは利益獲得であるとしたのがフリードマンだった。ハイエクのルール論をそこに加味して、暗黙のルールと社会的責任の議論の相互関係を再検討する。考えるべきこととは一体何なのか。
目次
まえがき
第1章 問題意識
第1節 競争という視点から見た企業の社会的責任
第2節 組織という視点から見た企業の社会的責任
第3節 企業の社会的責任とは?
第4節 課題の設定,分析視点及び手法及び構成
第2章 暗黙知としてのルール:ハイエク社会哲学におけるルールの知識論
第1節 まえおき:思想展開における力点の変遷
第2節 ハイエクのルール論
第3節 ルールと知識:暗黙知としてのルール
第4節 義務論と帰結主義
第3章 「開かれた社会」における企業の責任について考える
第1節 利他的ルール形成とその合理性について
第2節 フリードマン主義とハイエク主義
第3節 企業の社会的責任論:ハイエク主義の展望
第4節 リバタリアンによるハイエク主義批判
第4章 企業の社会的責任論の批判的検討
第1節 企業の社会的責任をめぐる企業とそれ以外
第2節 「企業はだれのものか」論争について
第3節 「社会」的な「企業」
第4節 「開かれた社会」の到達点:ハイエク主義から見えてくるハイエク主義の問題点
第5節 我が国における動向と簡単な批評
第6節 企業の社会的責任の出口
結語
あとがき
人名索引/事項索引
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
7
漠然とした正義感覚を法的強制にすると、ハイエクのいう、法の支配の要請を満たさないルール設定になる「労働者解雇禁止の対象が「すべての労働者」に広げられる場合、貧困対策団体への寄付の義務が無制限になる場合…それはやがてカタクラシーそれ自体を機能不全に陥らせることとなるだろう。民主主義という政治体制がそのような危険を回避するように機能する保証は、どこにもない。マスメディアの存在は、カタクラシー外部の正義感覚をカタクラシー内部に持ち込もうとする傾向がある。ひとびとが従っているミクロルールとマクロルールを混同する」2020/07/26
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