講談社選書メチエ<br> 自然の哲学史

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講談社選書メチエ
自然の哲学史

  • 著者名:米虫正巳【著】
  • 価格 ¥2,695(本体¥2,450)
  • 講談社(2021/03発売)
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  • ISBN:9784065228661

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内容説明

「自然(nature)」というと、どんなイメージが浮かぶでしょう。海や森、動物や植物たちのおだやかな光景? 台風や地震など、災禍を及ぼすものを思う人もいるかもしれません。いずれにせよ、そこにある「自然」は人間に、そして「人為」に対立するものと捉えられています。人為による自然の破壊といった表現は、その対立を前提にしていると言えるでしょう。では、人間は自然に含まれていないのか。自然とは人間と無関係の対象として捉えることのできないものなのでしょうか。
本書は、こうした素朴な問いが哲学の端緒から現代までを貫いていることを示し、各時代に捉えられてきた「自然」がいかに変化してきたのかを描き出す壮大な試みです。プラトン、アリストテレスの古代ギリシアに始まり、古代ローマ、中世、ルネサンスを経て、17世紀のベーコン、デカルト、ライプニッツ、スピノザに至る流れを追ったあと、そこに共通する〈一なる全体〉という自然のイメージが取り出されます。このイメージの問い直しは、18世紀のディドロやルソーによって本格的に開始されたあと、カントを経て、19世紀のニーチェで頂点に達するものです。続く20世紀以後の現代に至って、自然のイメージは決定的な変容を遂げます。それが〈自然かつ人為〉という矛盾した表現をするほかない「自然」です。本書は、それをシモンドンやドゥルーズといった思想家の検討を通して明らかにし、歴史が哲学の思考に追いついていくさまを明らかにしていきます。
多くの研究者から信頼される著者がついに解き放つ待望の単著。渾身の思想劇!

[本書の内容]
第I部 1 古代ギリシア哲学の自然と人為(1) 2 古代ギリシア哲学の自然と人為(2) 3 古代ローマ期から中世までの自然/技術 4 自然の逆説 5 非自然的なものの自然性 6 デカルト、ライプニッツ、そしてスピノザ 7 自然/人為という区分の手前で

第II部 1 ディドロの技術論 2 ルソーにおける自然と技術 3 アリストテレス再考 4 〈一なる全体〉としての自然(1) 5 〈一なる全体〉としての自然(2)

第III部 1 「神すなわち自然」 2 〈一なる全体〉としての自然を語らないこと 3 一八世紀に哲学史的断絶は存在したのか 4 〈一なる全体〉としての自然の復興? 5 「カオスすなわち自然」

第IV部 1 生命と技術 2 〈自然かつ人為〉としての自然 3 哲学に追いついた歴史 4 非人間的な〈自然〉

第V部 1 現代における自然哲学の条件 2 前-個体的存在と個体化 3 シモンドンと自然の概念 4 〈一〉以上のものとしての自然

第VI部 1 自然概念の第一の局面 2 自然概念の第二の局面 3 〈自然〉のカテゴリーの提示としての自然哲学

目次

プロローグ
序 幕
第I部 〈自然〉と〈人為〉――古代から17世紀へ
第一章 古代ギリシア哲学の自然と人為 (1)
第二章 古代ギリシア哲学の自然と人為 (2)
第三章 古代ローマ期から中世までの自然/技術
第四章 自然の逆説
第五章 非自然的なものの自然性
第六章 デカルト、ライプニッツ、そしてスピノザ
第七章 自然/人為という区分の手前で
第II部 問い直される自然/人為と〈一なる全体〉という自然の浮上――狭間としての18世紀
第一章 ディドロの技術論
第二章 ルソーにおける自然と技術
第三章 アリストテレス再考
第四章 〈一なる全体〉としての自然 (1)
第五章 〈一なる全体〉としての自然 (2)
第III部 〈一なる全体〉ならぬ〈自然〉――再び17世紀から19世紀へ
第一章 「神すなわち自然」
第二章 〈一なる全体〉としての自然を語らないこと
第三章 一八世紀に哲学史的断絶は存在したのか
第四章 〈一なる全体〉としての自然の復興?
第五章 「カオスすなわち自然」
幕 間 いかに自然を思考するか
第IV部 自然かつ人為としての非人間的な〈自然〉――20世紀以降の自然のあり方
第一章 生命と技術
第二章 〈自然かつ人為〉としての自然
第三章 哲学に追いついた歴史
第四章 非人間的な〈自然〉
第V部 現代的な自然哲学の条件――シモンドンと自然哲学の可能性
第一章 現代における自然哲学の条件
第二章 前-個体的存在と個体化
第三章 シモンドンと自然の概念
第四章 〈一〉以上のものとしての自然
第VI部 来たるべき自然哲学のために――ドゥルーズと共に〈自然〉を思考する
第一章 自然概念の第一の局面
第二章 自然概念の第二の局面
第三章 〈自然〉のカテゴリーの提示としての自然哲学
エピローグ

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

♨️

6
「技術/自然」という対や、「〈一〉なる〈全体〉」というイメージに対する戦いの系譜として、プラトンからシモンドン、ドゥルーズまで(あるいは考えられる「以後」)の自然哲学を追っていく。〈一〉なる〈全体〉の徹底としてのディドロ(個体はなく全ては連続した自然である!(これはスピノザとは明確に区別される))や、20世紀前半の「技術か自然か」ではなく「技術かつ自然」という枠組みで考えていこうという転換(ベルクソン、タルド)に関心を持った。ドゥルーズの「機械」という言い方も哲学史的に跡付けたよみがなされていてよかった。2021/05/24

mim42

5
「自然」についての哲学的言及を横串にコラージュした歴史書。いくつかのテーマ。1.自然/人為の区別はそもそも曖昧。2.〈全〉或いは〈一〉としての自然の否定。読んで良かったかどうかと言われれば「良かった」。が、失望も多い。もうこれは日本の人文学あるあるだろうが、毎度ながら大文字の哲学者の名前を接木する様な価値観が胡散臭い。例えばスピノザを引用するドゥルーズを引用、の様な飯事をいつまでやっているのか。結論も弱い。また自然の哲学、技術の哲学を論じるのに、近現代はほぼフランス語圏の思想しか取り扱いがない。2021/05/21

Bevel

4
〈一なる全体〉としての自然という「思考のイメージ」を辿ること、それはつまり、〈自然〉についての隠蔽と開示の哲学史を辿りなおすことだ。プラトン、アリストテレスから始まり、自然の概念史を総ざらいしていく手つきは、もうなかなか日本でできる人がいないのではなかろうか。人間に先立ち、技術哲学をそのうちに内包するような〈一〉以上のものとして「自然」を出発する自然哲学、このような構想は、構想のままでぼんやりしてるところはあるけれども、「愚かさを傷つける」以上の含意をもつのだろうなと思った。2021/04/01

Go Extreme

3
自然と人為―古代から17世紀へ:古代ギリシア哲学 古代ローマ期から中世まで 自然の逆説 非自然的なもの デカルト・ライプニッツ・スピノザ 自然/人為 問い直される自然―狭間としての18世紀:ディドロの技術論 ルソー・自然と技術 アリストテレス再考 一なる全体としての自然  一なる全体ならぬ自然―17世紀から19世紀へ いかに自然を思考するか 自然・人為としての非人間的自然―20世紀以降の自然 現代的な自然哲学の条件―シモンドンと自然哲学の可能性 来たるべき自然哲学のために―ドゥルーズと共に自然を思考する2021/04/14

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