内容説明
江戸時代。50歳で隠居したのち、江戸中を訪ね歩いた大名がいた。五代将軍綱吉のお側用人・柳沢吉保の孫、信鴻(のぶとき)だ。彼が物見遊山で訪れた範囲は、日本橋・浅草周辺はもちろんのこと、王子、向島、目黒方面と、日に何十キロと徒歩で歩いては、身分によらずそこに暮らす人々と交流し、ありのままの江戸を日記に書き残していた。活気に満ちた江戸の描写溢れる信鴻の『宴遊日記』を元に、その軌跡を追う!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
65
明治政府は自らの正当性主張のため、学校で旧幕時代を暗黒の封建時代と教え込んだ。しかし隠居大名柳沢信鴻の物見遊山日記は、18世紀後半の江戸の人びとが質素ながら生活を楽しむ様子を生き生きと伝える。娯楽を求める大名から衆庶までの欲求に応える産業や名所旧跡、歓楽場などが江戸には整っていた。娯楽の数や種類は現代の方が多いだろうが、そのゆとりある暮らしぶりと清潔な都市環境は世界屈指だったのだ。また江戸人の健脚ぶりは有名だが、女性も劣らなかったのには驚く。現代社会で当時の江戸より劣る生活を送る人は間違いなく多いはずだ。2021/05/25
onasu
17
柳沢信鴻(ノブトキ)は、五代将軍綱吉のお側用人・柳沢吉保の孫にあたる人物で、大和郡山藩(15万石)の藩主を49歳で隠居、下屋敷(現存する庭園:六義園)で庭いじり(お殿さまのね!)の傍ら、江戸後期の江戸市中を歩き回り「宴遊日記」を綴っていた。 時に20キロ以上も「歩いて」いるのにはびっくり。お殿さまなんで一人ではなく、通常は数名、側室を連れた時などは20名超で。夜明け前に出る時なんかは、ちゃんと言ってあったのかな? 各所の浮世絵が百枚も掲載されているのは楽しめるが、日記文が原文のままなのは読み辛い。2021/04/05
ようはん
16
先に読んだ江戸の定年後とタイトルは似ているが、引退した大名達の老後というよりは大和郡山藩主を49歳で引退した柳沢吉鴻(柳沢吉保の孫)の視点から見た18世紀後半の江戸文化といった感じの内容であろうか。江戸はとにかく寺社仏閣が多いので開帳や勧進相撲などのイベントやそれに付随したイベントや商売も多く今の祭りに繋がる要素も多い。当時のヨーロッパと比較して庶民主体で楽しめるイベントが多いというのも江戸時代の先進性でもあった。2024/10/18
tama
11
図書館本 先月の新刊案内で 初めて知った江戸時代(18世紀後期)の大名の隠居後生活 大和郡山の藩主 江戸で夫婦して隠居してるがやたら御付きの者多く、よく御開帳見に行く(ほぼ週1)がお供が少なくとも数人。奥方と夫婦で出るときは10数人!?また、よく歩く。16km。茶屋で蕎麦やら菜飯田楽(豆腐の)を食べてる。この組み合わせ好きだったようだ。お付きの者は弁当?自前?給与の内?道が悪いところは下駄を貸す商売もあり。相撲見物はプロのもアマのもやってりゃ見た。原文の現代言葉・漢字化した方が良かったと思う。2021/08/25
カズザク
3
士農工商、厳しい身分制度のイメージが強い江戸時代。お殿様も武士も庶民も、一緒に物見遊山を楽しんでいた事に驚きである。当時の先進国・西欧より進んでいたとは、賛否両論があるものの、鎖国が生み出した島国・日本の平和の賜物?将軍様のお膝元の大都会・江戸だけの特権?隠居した身とは言え、お殿様が自分の足で歩いていた事に驚きである。側室におねだりされてお出掛けとは、新しいお殿様像で微笑ましい。側室の事が可愛かったんだろうな(笑)。信鴻が書き残した原文が多く使われていて、自分の知識不足?内容・意味を理解しきれず少し残念。2024/07/20