内容説明
そうか、「復興五輪」も消えるのか。
歩こう、と思った。話を聞きたい、と思った。
福島のシイタケ生産業者の家に生まれ育った著者が初めて出自を語り、18歳であとにした故郷に全身で向き合った。
生者たちに、そして死者たちに取材をするために。
中通りと浜通りを縦断した。いつしか360キロを歩き抜いた。報道からこぼれ落ちる現実を目にした。ひたすらに考えた。
NHK「目撃!にっぽん」で放送!
あの日から10年。小説家が肉体と思考で挑む、初のノンフィクション
目次
福島のちいさな森
4号線と6号線と
国家・ゼロエフ・浄土
長い後書き
目次
福島のちいさな森
4号線と6号線と
国家・ゼロエフ・浄土
長い後書き
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
starbro
219
「本屋大賞2021年ノンフィクション本大賞」ノミネート作ということで読みました(1/6)。古川 日出男は、新作中心に読んでいる作家ですが、初ノンフィクションということです。著者が福島出身で家族や親戚も福島在住ということもあり、客観的なノンフィクションというよりも、かなり主観が入って混沌としています。 TOKYO2020も復興五輪という割には、中途半端、チェルノブイリのように完全復興はないのかの知れません。 https://www.youtube.com/watch?v=CfzSRashYBM2021/08/16
naginoha
64
初めに断らなければならない。この作品の、評価はおろか説明すらも齟齬が生じ、作者の重い想いを正確に伝えることは困難だということ。と言いつつ試みる。まず作者。私はこんな真面目で面倒くさい男は見たことがない。好き嫌いが分かれるだろうとは思う。私は好きだ。その作者が歩く。福島を。中通りを。浜通りを。そして自らの川で溺れた経験や、原発事故で忘れ去られた山津波、その後の台風の被害から阿武隈川を。その姿は和歌山に住む私には熊野三山を目指し小栗街道を歩く民の姿と重なって見える。歩くことは考えること。真理を追究すること。2021/08/06
がらくたどん
49
やっと読んだ。そもそも古川氏の文章が既に荷が重い。なんか自分歳とったなと思う。顎絶対弱くなってる。分類なんてさと思うが確かに916のルポルタージュよりは915の日記・紀行がしっくりくる。これは取材を整理して組み立てた構造物ではなく、歩いて感じて自問して違和と了解を繰り返した内声の記録。読み手はそこから現在の自分が聞き取れる周波だけを聞き取るしかないのに苦しい。高感度アンテナ搭載の著者だとて当然福島の全ての周波は拾えていない。ってことは。途方もなく膨大な聴きとるべき「声」が漂っている事だけはわかったと思う。2022/03/12
さっとる◎
48
大好きな古川日出男の新作がノンフィクションだと知った時に、私は「参ったな」と思ったのだった。参ったな、ノンフィクションは好きじゃない。本当とかいらない。しかも3·11の震災。あの頃も今も部外者でしかない私は何を思えばいいのだろう。それでも読んだわけだけど。結果。とても面白かった。面白かったなんて言葉を使うのを躊躇わせる圧力が、福島の震災物にはあるとは思うのだけど、それでも。何回も泣いた。シビアな現実に、ではない。それと向き合う日出男の姿勢に。この本も売れないだろう。それでも。一人でも多くの人に届けと願う。2021/03/28
tenori
43
えぐられました。福島県出身の小説家・古川日出男さん初のノンフィクションであり、ルポルタージュ。本来なら昨年に開催予定だった東京五輪(←復興五輪と謳って招致した)の時期にあわせ、福島を徒歩で縦断し、震災後の語られることのなかった、あるいは、語られていたとしても忘れられている声を拾い集め、福島=原発の水素爆発として紋切り型にとらえられることを唾棄する渾身の一冊。見えないもの、聞こえないものを想像することが、難しくもいかに重要かを思い知らされる。そして再認識する。福島は福島でしかなく、決してフクシマではないと。2021/03/31