内容説明
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原発事故後の「福島」の切なくも美しい現実。
震災後の福島を撮り続けた写真家の膨大なストックの中から厳選した写真に、随筆・詩を添え、「語られない真実」を召還し、「忘却された物語」を紡ぎ出す。
「赤々と煌々とコンセントのこちら側」
「いつも真夜中コンセントの向こう側」
東京のビジネス街や繁華街を鮮やかに彩る光。一家団欒の茶の間を温かく照らす光。その光はいったいどこから来たのだろうか。その繁栄はいったい何によってもたらされていたのだろうか。
大爆発を起こした福島第一原発。約半世紀かかると言われる廃炉作業は計画通りに進むのだろうか。膨大な高レベル放射性廃棄物は誰が引き受けるのだろうか。約束された「明るい未来は」どこにいったのだろうか。
科学の名のもとに、放射能という寝た子を起こしてしまった人類は、これから途方もない時間を「目覚めた子」と向き合わなければならない。これは天災でなく、人災なのだから。
※この作品はカラー写真が含まれます。
【著者】中筋純
1966年和歌山県生まれ。2007年よりチェルノブイリ、2012年より福島を撮り続ける。2016年より「流転 福島&チェルノブイリ」展を全国40か所で巡回。福島関連の表現を続ける芸術家たちの展覧会「もやい展」を主催。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ただぞぅ
6
チェルノブイリと福島の原発事故にある「共時性」。8200kmの距離、25年の歳月差の中で人々の営みが強制的に止められた空間や何年経過してもそこで苦しむ被害者がいる。賠償金ではなく、共同体を元通りと訴える津島地区の住民達。太古から続く豊かな自然とそこに根付く人々達の結び付きこそが財産だ。一方汚染地として立入禁止地区に指定されながらも故郷に戻ってきた住民もいる。ウクライナ語で「サマショール」と揶揄されながらも大地に根付いた生活は果たして自分勝手なのか。原発事故から逃げる時は避難するのではなく永訣することだ。
古本虫がさまよう
3
著者はチェルノブイリを取材した体験もある。福島へ。同じ場所の春夏秋冬といった感じでの定点観測的な写真も。櫻並木となったり雪が積もったり…と。廃墟の写真も。泥まみれの売店…そこに残されたまま色あせた週刊現代。安倍首相の若い顔写真ポスター(福島に活力…という文字が見える)。現地に住んでいた人たちの「寄せ書き」のような怒りのコメントも。「今日を生きる、気負わずに。明日は何があるかわからない。日々の生活を大切に」という言葉が眼にとまった。もしかしたら、中筋純氏も今度は中国に飛ばなくてはいけなくなるのかな? 2021/06/16
Go Extreme
1
明るい未来 原風景 時 流転 共時性 花咲く街 螺髪 復興その光と影 かさぶた エンディング 全写真解説 寄稿:アーサー・ビナード・「安全審査」 赤坂憲雄・「放射性物質はだれのものか」 ヴィヴィアン佐藤・「瓦礫から様々なものを救済する写真たち」 三原由紀子・「なかったことには」 渡辺一枝・「大地のうたう」2021/04/11
和
0
この写真集には、1F惨禍によって誰もいなくなった街が、どのように姿を変えてきたのかが表されています。私が強く感じたことは、電気を消費する我々はいつもコンセントの「こちら側」にいて「向こう側」は意識しにくいということです。実際には向こう側には1Fを含め発電所があって、我々は重症患者としてその点滴に依存してきました。私は本書を読むまで知らなかったことがあります。かつて水田だった帰還困難区域の土地に、太陽光パネルが埋め尽くされようとしていることです。私だけはずっと、コンセントの向こう側を意識していきたい。2021/04/10