内容説明
習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん「非社会的」な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉。
膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫する。作品が装置であるとはどういうことか。時間と行為の関係とは? 詩が身体を解剖するとは?
ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係。
著者の美学・身体論の出発点となった記念碑的力作。
目次
1 作品
第一章 装置としての作品
第二章 装置を作る
2 時間
第一章 形式としての「現在」
第二章 抵抗としての「持続」――注意をめぐって
第三章 行為の法則化――リズムをめぐって
3 身体
第一章 《主観的》な感覚
第二章 生理学
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
88
「ヨーロッパはアジア大陸の大きな岬になるであろう」1919年イギリスの雑誌に掲載されたテクストが今に至るまで引用される。なぜヴァレリーの言葉は引用され、増殖するのか?それは言葉そのものの力である。「純粋詩」の提唱者とされる彼の「芸術哲学」をⅠ部作品論、Ⅲ部身体論に、それをⅡ部時間論が橋渡しをする。そこでは、詩と生理学を結びつけ、人々がみずからの身体を再び所有する役割をもたせることを論じる。最近多くの著作がある伊藤亜紗が自身の博士論文に加筆し、彼女の美学の原点である著作。「詩を作ることは詩である」ヴァレリー2021/03/04
石油監査人
19
この本は、20世紀初頭のフランスの詩人、ポール・ヴァレリーが残した膨大な詩論を、美学者で東工大教授の伊藤亜紗が調査・研究した学術論文です。ここで、伊藤は、ヴァレリーの詩が人間の身体を動かす装置と作られていることを発見します。とても、ユニークな視点で、例えば、「この手」という詩を声に出して読むと、自分の手が意志から離れて、別の生き物のように動き出します。詩には、予定調和を断ち切る作用があることは、以前から感じていましたが、身体を拘束するまでとは気が付きませんでした。伊藤の身体論に、今後も注目しています。2022/03/07
しゅん
17
再読。詩を「装置」と考えるときに、装置を受ける読者がどこまで自由を行使できるのかは、もう少し考える必要がある。自由なようで不自由ということは、表現体験の中で往々にして起きる。そのことをどう考えるか。2023/10/25
Ex libris 毒餃子
15
別作を読んでみて身体論を深く読んでみたいと思いました。身体論メインではなく詩論、身体論、時間論の三本柱で進んでいく。ヴァレリーは何冊か読んでいたが、伊藤亜紗を会したときにはなかなかに難しかった。特に詩論はあまり触れたことがなかったので、厳しかった。詩論を読むしかないかあ😢2024/09/14
∃.狂茶党
14
言葉が、視線を誘導、あるいは行動・意識を縛り上げ、集中へと誘う。 歪んだ鏡面に意識を集中させることで、催眠に誘う術があるように、詩の言葉、散文と異なり音楽的な身体を動かす言葉は、人の中に応答を紡ぎ出す。 ヴァレリーという人は学者であるようで、いろいろしらべ、書き留め、編纂し、またそれを言葉になどということをずっとやってたようです。 詩集と『カイエ』あと、詩論的なものを読まねば、と思わせます。 ヴァレリーによれば詩は朗読してこそであるようなのですが、ここで翻訳という大きな壁が立ち塞がりますね。2021/12/28