内容説明
日本的伝統的な「仏教1・0」と、上座系瞑想実践的な「仏教2・0」を、共に包み超えて、新たな「仏教3・0」を提唱。その哲学とはどのようなものか。はたして新時代を切り開く力となり得るのか。今話題の哲学者・永井均、禅僧・藤田一照、ワンダルマ仏教僧・山下良道の三者による、白熱、スリリングな徹底討論。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ろくせい@やまもとかねよし
152
「仏教3.0」を提案する曹洞宗僧侶らと哲学者との鼎談記録。主に禅における日本仏教の伝統的志向を1.0とし、内向的意識の偏重が問題と解す。昨今注目のマインドフルネス的志向を2.0とし、座禅など外形的行為への偏重が問題と解す。3.0で見直すこれら問題点を西洋哲学で考察。デカルトらから展開した存在論から実存主義への近現代西洋哲学を概観しながら、2500年前にブッダが説いた原始仏教教義とを対比させ、「自己」=「無我」と「今」=「無常」が無であり全てであることを諭す。ブッダの原始仏教は信仰より学問だと再認識した。2020/02/03
yutaro13
36
『アップデートする仏教』の続編。藤田一照氏と山下良道氏に、哲学者の永井均氏を加えた3人の対談集。仏教に哲学を交えるとどうなるか、というのが本書の主旨だが、永井哲学に慣れていない私ではすんなりとは読み込めない。永井哲学における<私>と山下氏の「青空としてのわたし」が瞑想の主体の議論の中で共通点を持つこと、修行に先だって「私」→<私>の転換をしておく重要性など、各所に興味深い指摘がある。「私」の方は、本書より後に刊行された『感じて、ゆるす仏教』で魚川氏が述べた「ガンバリズム」のあり方と関わりそうだと理解。2020/11/29
ももたろう
28
次元の違いを感じた。私は「生きる上での、この苦悩をなんとかしたい」という単純かつ世間一般的な思いを抱いていて、そのアプローチの一つとして仏教を学び続けているけど、お三方の話は「そもそも、この苦悩はどこから始まるのか?」「その始まりにある『わたし』とは何か?」「死という概念すらない」という根源的なところまで遡り、さらにそこに哲学的に仏教的に切り込んでいる。その突き詰め具合、こだわり具合からして、もはや次元が違う。仏教をもっと学び坐禅も続けつつ永井さんの哲学的な切り込みが理解できるようにまた再読したい。2016/10/10
fishdeleuze
22
〈仏教3.0〉を提唱している二人の僧侶と哲学者永井均の鼎談で、〈仏教3.0〉を哲学的に解釈し、理論的な補強をするといった感じだろうか。実際、〈仏教3.0〉における私(仏性に相当するものと考えていいだろうか)と永井哲学の〈私〉(この〈私〉は日常生活的な「私」ではなく、属性や本質がすべてなくなってなお今ここにある〈私〉)との親和性は高い。そして仏教における所知障すなわち無明という認識の根本的な問題をとりあげ、存在の前提へ議論を深めていく様子を興味深く読んだ。2017/10/02
文章で飯を食う
22
「アップデートする仏教」を読んで、あまりの面白さに本書を購入。もったいなくも2日で読んでしまった。この世界は〈私〉と〈今〉しか存在しない。〈私〉と〈今〉は、何の説明も無く、ただ端的に存在しているのだ。う~ん、本書の面白さを説明できないな。とにかく、正法眼蔵の世界を説明できる言葉を得た、と言う感じ。しかも、悟りに繋がる瞑想法の理論的根拠も与えるんだ。これは思想と言うものでは無く、世界の構造の説明書だ。全ての思想や宗教の立脚点なんだ。私にとっては悟りを開く場所だが、誰かにとっては神と出会う場所だろう。2017/02/01