内容説明
「稽古」とはいかなる思想か。武道や芸道などの道の思想とはどう関係するのか。修行や修養、はたまた練習、レッスン、トレーニングとは、どうちがうのか、どう同じなのか。そこに秘められた「智恵」が意味するものとは。「稽古」を知の地平に解き放ち、東洋的心性のありかを探る。東洋的身体知の世界を開く注目の書。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
41
私は「お稽古」が好きだ。そんな稽古の意味を考えるユニークな一冊だとは思う。世阿弥を中心に、先人たちの言葉が引用されている…「似得る」「離見の見」「目前心後」「見所同心」「落居」。道元の「身人一如」「修証一等」も印象深い。でも、「一日休めば自分にわかり、二日休めば先生にわかり、三日休めば聴衆にわかる」という行為を続けることがどれほど神々しいことかと、書いてほしかった。白洲正子さんが、大好きな「能」を、いつも「お能」と記しておられるように、この本が「お稽古の思想」だったら、もっと温かさが感じられただろうに…。2019/08/01
キョートマン
19
一度習得したものを手放した先に本当の熟達があるらしい。自分はその領域に達している分野が一つもないので実感がわかない、、、2021/10/26
たかこ
15
茶華道のお稽古をして早30年近く…。最近になって、練習することとの違い、型を学ぶこと、体に沁みつくことがわかってきた。ずっと型を習ってきた。茶道は運動ではないけれど、型というのは素振りみたいなものだと思っていた。初心者の頃は理屈じゃない、頭で考えない、とにかく同じようにやりなさいと言われ、ただただ手が覚えるまで順番を覚えた。そうこうしているうちに、茶人である私ができあがったような気がする。「心身一如」頭だけで分かろうとするな、言葉だけで分かった気になるな、自分の全生活をかけて追及せよ。巡り合えた幸せ。2020/11/23
kuukazoo
12
大人になってから踊りを始めたが、バーやフロアなど踊る身体を作る地味な稽古の重要性が身に沁みてるのはここ10年くらいのことである。それ抜きで振付を自分の身体の言葉として体現することはできない。即興も日頃の蓄積や事前の準備が大切で全くのノープランでは空回りや不発に終わる。わたしのレベルではまだまだそう都合よく身体は動いてくれない。なので本書の内容は非常に腑に落ちた。「スキルを身に付けた上でスキルから離れてゆく時、その先にアートが生じてくる。」「大切なことは直接求めてはいけない。稽古は回り道の知恵なのである。」2021/08/06
袖崎いたる
10
これは経験調律の書。スポーツだけじゃなく、あらゆる学習行為に通じる。つまり生きることそのものへと続いている。本書ではあまり突っ込んでなかったが仏教でいう「仏性」と重ねて読むと楽しいかもしれない。2019/08/14