講談社学術文庫<br> レヴィナス 「顔」と形而上学のはざまで

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講談社学術文庫
レヴィナス 「顔」と形而上学のはざまで

  • 著者名:佐藤義之【著】
  • 価格 ¥1,265(本体¥1,150)
  • 講談社(2020/04発売)
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  • ISBN:9784065193457

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内容説明

本書は、近年ますます注目されるフランスのユダヤ系哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906-95年)の思想を正面から考察し、批判的に継承することを企てた意欲作である。
著者自身が「愚直にレヴィナスの中心的問題の批判的論究を試みた」と言うとおり、本書でなされているのはレヴィナスの2冊の主著『全体性と無限』(1961年)と『存在とは別様に、あるいは存在することの彼方へ』(『存在の彼方へ』)(1974年)を丹念に読み解き、その考察を厳密に検討する、という当たり前の営為である。そこで問われるのは「他者が「絶対の他」であると共に私に対し無制限に責任を求めるものだというが、それは具体的にはどういうことを意味しており、またそれが事象において確認できるものか」、そして「彼のこのような極端な責任理解が、レヴィナス個人の倫理的立場の表明にとどまらず、われわれの倫理の分析としてどういう意味をもつのか」、「彼が力点を置く言語の問題において現れる他者と無制限の責任を求める他者との間に矛盾はないのか」という本質的な点にほかならない。
第一の主著『全体性と無限』を厳しく批判する論文「暴力と形而上学」(1964年)を発表したジャック・デリダ(1930-2004年)の議論をも検討しつつ、「他者」をいかにして言語化するか、という問題をめぐって第二の主著『存在の彼方へ』への転回がなされた意味は何かが考察される。第一の主著に胚胎していた問題を、第二の主著は克服しえたのか――著者は、レヴィナスが十分に突きつめずに終わった問題を「ケア」の理論を用いて発展させ、批判的な継承を試みる。この企てを通じて、レヴィナスの思想は今日を生きる私たちにとって生きた意味をもつようになる。
本書の原本が刊行されてから現在までの20年間に、レヴィナスの主要著作はほぼすべて日本語訳され、『全体性と無限』についても新訳がなされるようになった。進展する研究状況の中でも、本書は常に参照されるべき準拠点として、すでに「古典」の地位を確立したと言える。学術文庫として生まれ変わったことで、本書は輝きを放ち続けることだろう。

[本書の内容]
第I部 「顔」と形而上学──『全体性と無限』
第一章 「顔」──輪郭の描写
第二章 「選 び」
第三章 「同」と「他」
第四章 デリダの批判──「暴力と形而上学」
第五章 「教え」──倫理と学
第六章 「他」の言表──デリダの批判再び

第II部 方法の先鋭化──『存在の彼方へ』
第七章 「他」を語ることの困難──『存在の彼方へ』に向けて
第八章 絶対他把握の方法的問題
第九章 「感受性」と「語ること」
第十章 「顔」から「正義」へ
第十一章 レヴィナスへの批判と顔の倫理学の可能性

目次

第I部 「顔」と形而上学──『全体性と無限』
第一章 「顔」──輪郭の描写
第二章 「選 び」
第三章 「同」と「他」
第四章 デリダの批判──「暴力と形而上学」
第五章 「教え」──倫理と学
第六章 「他」の言表──デリダの批判再び
第II部 方法の先鋭化──『存在の彼方へ』
第七章 「他」を語ることの困難──『存在の彼方へ』に向けて
第八章 絶対他把握の方法的問題
第九章 「感受性」と「語ること」
第十章 「顔」から「正義」へ
第十一章 レヴィナスへの批判と顔の倫理学の可能性
文献一覧
あとがき
学術文庫版あとがき

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

令和の殉教者

4
レヴィナスは特異な顔の倫理で知られる思想家である。本書は『全体性と無限』の核心を、「第一哲学としての倫理学(学問は倫理を前提とする)」に見出す。ここで重要なのは、「顔」に二つの規定があることだ。①現象学的道徳的規定では、顔が私に求める無限責任が強調されたが、②形而上学的規定では、いかなる同化にも服さない絶対他の側面が強調された。レヴィナスは後者を重視し、デリダから呈された対象化し得ない絶対他をどのように語るのか、という課題に応えるべく『存在の彼方へ』を著した。これは、形而上学的規定の方法的先鋭化である。2023/02/04

YT

3
批評的にレヴィナスの2冊の主著を読み解いていく入門書。 全体性と無限で提唱した顔の倫理をレヴィナスは投げ捨てたのか?という問いを立て 存在の彼方へ の読解に迫り、懐疑の余地は残るものの 私が無限責任を負うものとして選ばれた、という顔が与える直感を理解する という一貫した主張を提出する。そしてケア倫理の 受容 をもとに他者への関わりの具体像を掘り起こしていく。 無限責任の場としての他者と出会う。ここに倫理が展開される場が現れる。みたいなことなのだろうか... 前提知識無しで読んだが肝は掴めたような...2022/11/05

saiikitogohu

0
「顔という概念は、事象としてはこのような、私に道徳的対応を求めるものとしての他者の、対面の場での現出だといってよい。…対面の場であることとは、私が相手への倫理的働きかけが可能な場に立っていて、それを求められているということである」19「「悲惨と飢えの理解が他への近さそのものを創設する」。「近さ」とは私が他者の傍にいて相手への責任を感じている」21「倫理原則がまずあって、…そこで感じられる当為感覚は元の原則に由来するという事情ではない…顔の体験の倫理性は体験自体に基礎をもつもの」222021/09/26

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