内容説明
太平洋戦争で国内最大の地上戦の舞台となった沖縄。そこに敵を殺し、友の死を目の当たりにした10代の少年達の部隊があった。陸軍の情報機関により沖縄本島北部で組織された約千人の遊撃隊(ゲリラ戦部隊)=「護郷(ごきょう)隊」は、どのような環境に置かれ、米兵を相手にいかなる戦闘を強いられたのか。戦後70年を経て、生存者が重い口を開いて語る戦場の悲惨な真実! 『僕は少年ゲリラ兵だった』改題。(解説・仲村清司)
感想・レビュー
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kinkin
87
太平洋戦争末期、凄惨な沖縄戦で護郷隊というゲリラ戦部隊があった。それは14歳から17歳までの、今なら中学生から高校生だろうかそんな子どもたちで編成されていた。この本はその部隊で戦った人の証言、戦友や敵との交戦の様子そして間近で起こる戦争という現実が語られる。また護郷隊を指揮したとされる男性のことも書かれていた。戦争というと軍人同士の戦いという印象があるが実は民間人も多く駆り出されて戦っていたことがよくわかった。戦争が終わって75年、こういった証言が聞けることもほとんどなくなってきた。図書館本2020/04/04
さすらいの雑魚
50
護郷隊。今なら中高生にあたる少年ゲリラ兵の凄惨な沖縄戦の記録を読み私は遠い昔のゲームを想いだした。これはガンパレードマーチだと。初回、為す術もなく斃れゆく5121小隊の戦友達。ゲームなのに未だにブルーになる。アレを現実で経験したら、それは心が死ぬだろう。決戦のための時間稼ぎは同じでも、熊本は全国より集められた少年少女兵の出先の戦場で、故郷を焼きながら闘った護郷隊のリアルはフィクションより酷い。打てば指が腐りそうな話もある。彼等の死闘は陛下のお耳に届いたのか。せめて褒賞のお言葉をと私は願わずにいられない。2021/11/03
hatayan
43
18歳未満の少年をゲリラ兵とした沖縄の「護郷隊」。拠点を捨てて撤退するときに歩けない負傷兵を銃殺して回った軍医。米軍の侵攻を遅らせるため住む村に火を点けた少年兵。仕方ないけどおかしい。相反する思いに少年兵は70年以上苦しんできました。 本土決戦に備えて、情報機関「陸軍中野学校」の卒業生が住民をゲリラ兵に仕立てるべく名前を偽って活動していたことも触れられています。 「戦争に近づく道を、戦争からかけ離れていても選択しないように。小さいのを重ねるとひどい目に遭う」。生存者の言葉に今こそ耳を傾けようと思います。2019/08/18
saga
37
沖縄戦で少年兵が徴用されていたなんて知らなかった。元少年兵の証言からは、暴力と恐怖のために心を喪っていく様子がよく判る。しかし、そのやり方は中野学校らしくなく、日本軍の悪い伝統を引きずっているように感じた。久米島での偽教員や、霧島部隊での「絶対に生きて帰ってこい。」という指導を見ると中野学校だと思う。謀略は『誠』なりの精神だ。停戦のタイミングを見誤った大本営。沖縄の犠牲の上に今の平和な日本があると、改めて認識した。2019/09/29
James Hayashi
32
70年の時を経て元兵士たちが重い口を開く。終戦間際に沖縄で、ゲリラとして戦った少年兵たち。率先して軍に忠誠を誓ったのではない。軍令として組織されていた(給与も出ず)。これは日本の汚点である。触れないほうがよかったであろう。沖縄という問題も含め日本の組織のあり方をもう一度考え直すべきでないか。時代は違うかもしれないがリーダーのあり方も再考すべきであろう。陸軍中野学校をポジティブに考えていたが、実質逆であったかもしれない。2020/07/18