内容説明
なぜ、詩人・犀星が、小説を書くようになっていったのか? なぜ、小説家となった後も、生涯にわたり、詩を書き続けたか? 同じく詩人として出発し、小説へと舞台を移した後、詩を書かなくなった「犀星ファン」の著者は、犀星の詩を丹念に読みながら、稀有な詩人・小説家の生涯と内奥、そして「詩」と「小説」の深淵に迫っていく。類い稀な個性と個性の邂逅が生んだ、傑作評伝。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
かふ
25
室生犀星は詩から散文(小説)に向かった。それはドストエフスキー体験から、朔太郎は思想を学び取り、犀星は虚構性(物語)を学んだのかもしれない。それは犀星が自身の詩集を完成させたときに佐藤春夫を訪ねて、朝から鶏鍋を食べ徹夜明けで仕事をしていたというのに驚いたという。それは経済的なことであったのだ。ただその散文(物語)化によってルサンチマンの感情が芽生えていくのは、詩に祈りを求めた犀星の詩の滅亡の苦悩だった。自身も同じ苦悩を抱える富岡多恵子だから書けた評論かもしれない。2025/07/31
フリウリ
23
もとは1982年に書かれた本。詩から出発し散文を主戦場とした室生犀星の評伝。富岡さんは、自身が詩から散文へ移行したこと、また個人的な犀星との付き合いから、この本を書くことになったと述べています。詩の成り立ち、散文の成り立ち、そして詩と散文の関係性などの難しいところを、犀星の詩文をもとに考え、組み立てていて、とても読み応えがあります(全面的に賛成できるわけではないけれど)。朔太郎のこぼした飯粒を拾う犀星、犀星を慕う中野重治をめぐる発言などの逸話も秀逸。非常に気になる本の情報(「我友」)が得られたのも収穫。82026/06/10
A.T
22
室生犀星は明治35年13歳で高等小学校を退学後、句作を始め、その後一匹狼的に詩作、さらに小説家へと創作を広げた。いわば文学界の浪人のような人だったから女性に対し社会一般で下に見られる者への賛美が高い。そんな古い時代感覚に根差したことを差し引いても、今も読む価値があるという。創作の転機となっている作品を指摘し、その動機が何であるか。詩を書き、小説を書くパラレルな創作によって、作品の内容がどのように変化したか… 犀星と同じ詩人で小説家の富岡多恵子ならではの鋭い読み込は、現代の作品作りや鑑賞にも役立ちそう。2023/04/12
mstr_kk
4
富岡多恵子による室生犀星の評伝。面白いけれど、よくわからないところも多々あります。けっこう難しいことをいっているんじゃないでしょうか?2024/10/11
Sylvie
1
犀星同様、詩に出発し小説へ向かった(戻ることはなかったが)富岡自身の関心と熱意によって、主に犀星の詩と小説への意志・行為が丁寧に分析されている。犀星の詩の青年期に魅せられた個人として、詩における「決別」や小説との対幻想、共存幻想の概念から学べたことは多い。『抒情小曲集』や『愛の詩集』における人道主義は、犀星元来の野生や庶民性の上に積み上げられた「知識の興奮」でしかない(152)。ウタウ(詩)自己陶酔と、カタル(小説)自己解体という対比によって、「復讐の文学」の姿もより鮮明に見えてきた。2022/10/02




