内容説明
世界最大の宗教、キリスト教の信者は、なぜ「愛と平和」を祈りつつ「戦争」ができるのか? 殺人や暴力は禁止されているのではなかったか? 本書では、聖書の記述や、アウグスティヌス、ルターなど著名な神学者たちの言葉を紹介しながら、キリスト教徒がどのように武力行使を正当化するのかについて見ていく。平和を祈る宗教と戦争との奇妙な関係は、人間が普遍的に抱える痛切な矛盾を私たちに突きつけるであろう。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
5 よういち
96
愛と平和を唱えるキリスト教が多くの戦争に関わっているのはなぜか。◆非常に重いテーマである。敢えて書かれてあったことの整理に留める◆カトリック教会:平和を望み、戦争を非難しているが、いかなる武力行為も認めないというわけではない。正当防衛は権利のみならず義務であるとの立場をとる。◆戦争は『利益』『思想』『プライド』等が混じり合って起こる◆人が叫ぶ平和は『誰かにとって都合の良い秩序』。戦いは人的欲望によって起こる。◆人は何かの意味を感じなければ生きられない。意味のためには人も殺せる◆愛しなさい。愛は強制される2020/01/03
1959のコールマン
57
☆4。キリスト教の教えがいかに武力行使肯定になっているか知りたいと思い、読んだ。が、全体的な印象は「人にとっての戦争論」というものだった。ちょっと残念。まあ著者がキリスト教徒であるせいかもしれない。突っ込み不足、言い訳?という部分がある事は否めない。とはいえ、キリスト教と軍事は案外近い関係という事実はきちんと書いてあり、好感が持てる。ローマ・カトリック教会による「現代世界憲章」「カトリック教会のカテキズム」「教会の社会教説綱要」のなかの戦争に関する公式見解や、プロテスタント格派の見解など読み応えあり。2020/01/16
おさむ
45
キリスト教徒はみな絶対平和主義者で非暴力主義者と考えるのは宗教や戦争に対して認識が甘いのである。こう指摘する著者は、人間は愛と平和を唱えながら戦争をしてきた冷厳な現実を突きつける。伊藤博文を暗殺した安重根はカトリック教徒。宗教改革を成し遂げたルターもまた暴力を肯定した。そして、軍隊内の宗教要員たる従軍チャプレン。キリスト教も人間的な営みに過ぎず、理想や正義感を持っているつもりでも過ちや失敗を犯す。私たちは自分だけは正しいと思いながら生きてしまう。過度な期待を宗教に抱かず、一歩引いた視座に立つ必要があります2017/11/01
姉勤
40
期待していた内容とは違っていた。現代の戦場に従軍するキリスト教聖職者を言の端に、宗教ではタブーの最たる殺人、戦争にどう関わってきたか。現代から古代、アメリカと日本での、キリスト教徒の戦時や戦場における事例。旧約・新約聖書の中の、戦闘/殺人と寛容/赦しが共存する事。他者の血を求める者と殉教たる捨身に徹した者。著者にケースバイケースですといわれりゃ、ハイそうですかというしかない。ただ、それが聖なるものかは定かではないが、キリスト教に限らず、歴史を重ねた教訓という、贖罪と称する業魔の肯定が文明を先に進ます。2020/10/07
樋口佳之
36
導入部で触れられているアーミッシュの住む地域で起こった無差別殺傷事件の顛末が一番印象に残りました。(当然批判もあるのですが)。どのような教義であれ、その教義にのみ忠実であろうとすれば、閉じたコミュニティの中で生きるしかないのだろうと。/もしも話になってしまうけど、ではキリスト教がなければ世界史はもっと平和だったのかな。正戦論が成立しなかった方が良かったのだろうか。2020/03/21
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