内容説明
1985年になされた最初の対談「オリエンタリズムとアジア」で、柄谷行人は「政治と離れた言説などはありえないということを、もう一度強調すべき時期にきて」いると言う。本書では、思想や芸術など多様な話題を次々繰り出しつつ、かならず世界そして日本はいかにあるべきかという問いかけに戻っていく。二人の知識人は縦横無尽に語り合うことを通して、読む者に思考と発言を続けることの重要性を訴えているのである。日本を代表する知識人二人が、自在に語りあった諸問題――解決にはほど遠くさらなる混迷に突き進む世界の現在を予見した、奇跡の対話集。目次オリエンタリズムとアジア昭和の終焉に冷戦の終焉に「ホンネ」の共同体を超えて歴史の終焉の終焉再びマルクスの可能性の中心を問う あとがき 浅田彰と私(柄谷行人)
目次
オリエンタリズムとアジア
昭和の終焉に
冷戦の終焉に
「ホンネ」の共同体を超えて
歴史の終焉の終焉
再びマルクスの可能性の中心を問う
あとがき 浅田彰と私(柄谷行人)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
38
ふたりの85年~98年までの対話が6つ収録されています。昭和、冷戦、経済成長の終焉期なので、歴史の話が多いのが特徴です。しかし、「○○は△△なんです」みたいな、符丁を言い合って、さも正解のように大きな話を流していく乱暴さに腹が立ちます。彼らは間違っていた方ではないのか。批判されている加藤典洋のようなひとの方が、歴史を語る言葉の命脈を現在まで宿しています。むしろ、ふたりの本の読み方や思想家、文学者の理解、柄谷の本の改題のような、小さい話題に触れた時の率直さと分かりやすさが思いのほか収穫のような気がします。2019/10/13
gorgeanalogue
15
「まっとうな知識人」として振るまうことを決意した(?)二人の1980年代半ば以降の対談。だから「小児的な」サブカルも「大衆」の吉本も軽蔑される。一方で、時事的な状況分析が「これは何かの反復である」はその通りなんだろうけど、それ自身戯画的な反復になってしまうところがある。終章の経済学史はほとんどわからなかったが、柄谷の「トランスクリティーク」以降はほとんど読んでなかったぶん、カントの位置づけは「こういうことだったのか」と面白かった。現象学は超越論的態度に対立する(ナイーブな)経験論的態度として批判される。2022/12/27
原玉幸子
14
出版過多の今のご時世の必殺「リバイバル」編集出版。1985年から1998年に掛けての両氏の対談は、時代を追う毎に弁舌と論理が冴え、私にはパズルで抜けている箇所にピースが嵌る様にマルクス他が成程と解って良かったです。ポスト構造主義を偉そうに語りながら21世紀以降は余り発信することが無くなった浅田と70年代以降?文学から足を洗った柄谷の切り口の鋭さは、やっぱりインテリの社会哲学なので、吉本親子批判の文学は(当時に今の時代を予見も示唆もしていない点でも)彼等が語らなくていい領域かと思います。(◎2021年・春)2021/04/22
またの名
9
「吉本wばななw少女漫画のww劣化wwコピーwww国外でw通用wするわけwないwww」と馬鹿にしてたら数年後アニメやゲームとともに世界を席巻する日本カルチャーになったのに、自分達の予測は当たり過ぎて何の驚きもないと言い放ち超ポジティブ。有名な「自分はなんという土人の国にいるんだろうと思ってゾッとする」発言が確認できる回等も収録した対談集では、気ままに語る放縦さも面白いが、大著を書き上げてから一つのパースペクティブを獲得して力強く語る柄谷氏の変貌ぶりが興味深い。この時を境に社交的でない自分に戻ったと本人談。2020/01/18
なつのおすすめあにめ
3
『オールド・ファッション 普通の会話』での江藤淳と蓮實重彦によるある意味でリラックスした対談を読んだ直後ということもあり、ずいぶんとこちらは激しい内容に感じる。『オールド・ファッション』も油断していると驚くような発言が飛び出すが、こちらは基本的にそうなっていた。吉本隆明・竹田青嗣・加藤典洋・西部邁・笠井潔らお馴染みのメンツ(論敵)を二人してメタメタにしています。吉本ばなな(文学・サブカル・村上)に対する評価はその後の大塚英志や東浩紀の仕事の方が正しい気もしますが、社会情勢の予想はクリティカルで流石でした。2022/09/06
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