内容説明
現象学は今日、哲学のみならず、人文・社会科学に広く影響を及ぼし、一つの大きな潮流をかたちづくっている。本書は、現象学をフッサール、ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティといった哲学者の思想の展開のうちに生きた知的運動として位置づけ、「われわれにとって現象学はいかなる意味をもつか」を明らかにする。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Gotoran
52
フッサールからハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティと続く現象学的運動の変遷が解説されている。現象学の形成とその後の変容の概略的な流れを理解することができる。フッサールの初期、中期、後期に分けた解説、また、サルトルの初期の現象学的心理学の構想、メルロ=ポンティと構造主義との関係、チャン=デュク・タオによるマルクス主義からの現象学的批判などについても言及されている。各思想家の論述に際しては、各人の愛憎劇などのエピソードを交えての読み易い文体での解説であり、大変興味深く読むことができた。2021/10/30
SOHSA
28
《購入本》現象学の系譜とその思想の変遷、現象学の果たす役割と可能性について比較的理解しやすいようにとの配慮のもとに書かれた木田先生の著作。しかし、とは言ってもやはりそこそこ難解であることは否定し得ない。現象学の魅力に惹かれながらも、私自身、うすぼんやりとその輪郭が見えてきたにすぎない。フッサール、ハイデガー、メルロ・ポンティへと続く現象学は哲学的方法論として今なお有効と思われるが、現代においてもはや時代遅れと呼ばれるのは残念でならない。尽くされたとは言えない現象学に心はいまだ残ったままである。2015/12/27
風に吹かれて
17
思う前に、そこにあるものを受容する自分の在りよう、「われ思う」に先立つ「われなし能う」、「世界への共属性」を持ちつつ世界のなかに身体的実存する我。200ページ余りの青版岩波新書、1970年刊。フッサールにはじまりハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティと現象学の何たるかを記述する。著者、精鋭なる42歳。意図は入門書のようですが一行一行が濃厚に感じられ、分かったつもりで読む傍らから内容が頭から何処かに行ってしまう。現象学はひとつの体系ではなく、絶えざる運動の態様。絶えず、ではなくとも、ときに自分を顧みること!2019/09/17
masawo
14
1970年発行、初心者向けの入門書かと思いきや、新書とは思えないハードな内容。これ1冊で何かが分かったかというとほぼ何も分かってないに等しいので、次のステップの書物を読む必要がある。フッサールとハイデガー、及びサルトルとメルロ=ポンティの確執の描写は木田氏ならではだと思う。2019/07/18
koke
13
フッサールが何を目指して現象学を始めたか丁寧に解説している。フッサールが心理学主義を批判するのはもっともだと思うが、代わりに現象学を一切の学問の基礎学にしようとしたのは野心が大きすぎた。絶対確実な学問が存在しうるかはともかく、自分は確実な学問だと過信している学問に対しては、現象学は今でも言うべきことがあるかもしれない。メルロ=ポンティは6節に分けて解説されており、「身体論の人」という一面的な理解を正された。2024/02/12