内容説明
607年、日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子」で名高い書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった――。こうした通説は事実なのか。日本はアジア情勢を横目に、いかなる手段・方針・目的をもって中国と交渉したのか。本書は、倭の五王の時代から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらには派遣後まで、500年間に及ぶ日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
kk
28
いろいろと考えさせられることの多い一冊。日本は倭五王以降、足利義満の時を除いて中国の朝貢レジームに参加したことがない稀有の国、聖徳太子の昔から、東アジアで唯一独立自尊でやってきた稀有の国、なーんて何となくずっと考えてきたんだけれど、この本読んでかなり我が国の来歴へのイメージが変わってしまいました。古代日中関係における仏教の外交イデオロギー的な側面への指摘にも、知的好奇心を大いに刺激されました。いろんな意味で、かなりエキサイティングな読書体験でした。2019/04/21
Tomoichi
26
内容は面白い。煬帝への国書についての解釈など学説がupdateされていて勉強になりました。でも天皇の死を崩御と書かないのは、国語の問題かイデオロギーか?こういうのは気になる。2023/06/10
かんがく
22
面白すぎ。今まで自分の中でまとまってきた古代史が、東アジア圏という新たな視野を得てより綺麗な形になった。倭の五王から遣隋使、遣唐使を経て、その後まで。面白い点は2つあって、1つは仏教に重点をおいている点で、中華皇帝の仏教を利用した支配体制がよくわかる。有名な「日出る処」の国書も仏教的視点から分析している。2つ目は日本の皇統と対中交流を絡めて記述している点で、女性天皇の時や皇統が混乱しているときは中国への遣使が無いということがわかる。明治以降の外交史観を覆す名著。2019/05/04
coolflat
20
5世紀、倭の五王たちが南朝の宋に使者を派遣した時代から、9世紀末の平安時代初期、菅原道真の建議によって遣唐使派遣計画が停止になるまでを扱う。古代日中関係史を知る上で、重要になるのが天皇の系図把握と中国の王朝変遷だ。当然ながら、外交をするには国内統治が安定して初めて可能となる。日本の場合、直系の男子が不在の時、王権が不安定化するため、対外的な活動を縮小せざるを得なくなった(内政に比重を置かざるを得なくなった)。中国の場合、例えば安史の乱後の唐王朝は混乱期にあり、日本は遣唐使の派遣を停止したという経緯がある。2020/01/01
hyena_no_papa
19
諸氏の感想を読むと、それ以上のものは書けそうにないので控えておくとして、歴史の捉え方がマシュマロのように、ふんわりとして柔軟な印象!倭の五王と隋唐以後とをつなげて考察していくというのは、正直意表を突かれた思い。わが古代国家は隋唐に学び、近代国家は欧米に学ぶ。なのに彼等と大戦争を戦うなどというのは、引いた目で見ると理解の限界を超えている。多数の参考文献と、必要最小限ながら参考史料、それに7世紀にも亘る関連年表を載せるのは有益至極。余計な一言を!古田説ファンが読んだら、どんな反応を?まあ、読まないでしょうが。2021/07/12




