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内容説明
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。
玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
フィリピンの東、小笠原諸島の南西に浮かぶ島国パラオ共和国。
戦後70年の節目となる2015年4月8日、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)は、この国の南部に位置するペリリュー島を訪問され、日米それぞれの慰霊碑に献花された。
宿泊されたのは巡視船内、移動は大型ヘリという強行軍であった。
そうまでして両陛下が慰霊のために訪問されたのはなぜか。
この島こそ、太平洋戦争でも有数の激戦地でありながら、人々の記憶から消えようとしているからではなかったか。
ペリリュー島にあった大型空港の確保を狙う米軍の総兵力は約4万2000人。
主力は米軍最強ともうたわれた第一海兵師団であった。
いっぽう日本の守備隊は約1万人。寡黙な九州男児である中川州男大佐に率いられた「陸軍最強の精鋭部隊」との声もある水戸の歩兵第二連隊が中心である。
自滅覚悟の「バンザイ突撃」を禁止し、太平洋の防波堤たらんと、守備隊は島じゅうに張りめぐらせた地下壕を駆使して、74日間にもおよぶ徹底抗戦を試みる。
昭和天皇から発せられた「お褒めのお言葉」(御嘉尚)は異例の11回。
米第一海兵師団は史上最悪ともいわれる損害をこうむった。
中川大佐の人生、満洲から転戦した歩兵第二連隊の記録を追いつつ、ペリリューでの壮絶な戦闘を、帰還兵の貴重な証言や現地取材などを通じて描き出すノンフィクション。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kinkin
110
ペリリュー、聞き慣れない土地の言葉だがガダルカナル、サイパン、硫黄島、沖縄、インパールといろいろ読んでみるとそこにたどり着くことは当時の政府や司令官の決断ミス、判断ミスということだ。中川州男という人は温厚で真面目で部下思いだったということも知る。どの決戦が繰り広げられた土地でも上官の判断が重要だったということ。2022/04/06
エピファネイア
76
パラオ諸島。今はコバルトブルーの海に緑の島が点在する観光地である。この島で日米が激突したペリリューの戦い。1万人を超える日本兵が落命した。命を賭けるのは当然、戦闘に参加できないのは恥と思う若者たち。日本を守るために太平洋の防波堤となって散っていった多くの命を思う。最後まで諦めずに戦い抜いた指揮官の中川州男。寡黙だが細やかな配慮ができて現場感覚に秀でた指揮官だったという。これ以上戦えないと判断し、サクラ、サクラ、サクラと打電して軍旗を焼いたときの無念はいかばかりか。彼の遺骨はまだパラオに眠ったままである。2025/08/09
skunk_c
43
パラオのペリリュー島は太平洋屈指の激戦地として知られ、洞窟戦という硫黄島、沖縄の先駆となった。その守備隊の連隊長中川州男大佐に焦点を当ててこの戦闘を回顧する。全体に帝国日本に甘めの筆致ながら、戦争の空しさや、兵士や将校の戦場における実態は十二分に伝わってくる。また、中川個人に対しての丹念な取材により、戦争に生き、そして戦死したひとりの現場指揮官の姿が浮かび上がる。大本営や参謀本部で兵を動かすのとは異なる、生身の戦争指導が垣間見られる。中公新書『硫黄島』と併読すると、より立体的な像が結ばれると思う。2020/02/18
trazom
39
恥ずかしながら、私は、ペリリュー島(パラオ)がどこにあるかも知らなかった。ましてや中川州男大佐という守備隊長の立派な人格も。フィリピン奪還の拠点として上陸作戦を敢行する米軍に対し、守備隊の使命は時間稼ぎのための持久戦。米国海兵隊に史上最悪の損害を与える奮戦だったが、2か月後に玉砕する。そして現代。「パラオは忘れられてしまったんだなあ」「パラオは約三十年も日本だったのですよ」と言うパラオの人たちに、返す言葉が見つからない。パラオの元大統領が戦争に対して語った言葉も胸を打つ。「忘れてはいけない。そして許す。」2019/08/24
99trough99
25
太平洋戦争は、本当に知らないことがまだまだ多い。敗戦一年前の昭和19年9月15日に、パラオ諸島ペリリュー島への米軍上陸を食い止めようとする中川州男率いる陸軍第14師団歩兵第2連隊の死闘を描く。栗林忠道中将の硫黄島での戦いもそうだが、緻密に自分に課せられた使命を全うしようという軍人がいたものだと痛感。パラオの人たちからは感謝されていたという下りは、人として譲ってはならない重要な部分を矜持すべしと教えられる。ナカムラ元パラオ大統領の「忘れてはいけない。そして許す」の言葉は重い。2023/03/04