内容説明
その「十三文字」が日本仏教を大きく変えた――。「南無阿弥陀仏」と称えれば、どんな人間でも往生できると説いた法然。「南無妙法蓮華経」と唱えれば、その身のまま成仏できると説いた日蓮。末法の世に生まれた二人は、迷い悩む衆生を等しく救うべく、独創的な仏教をつくりあげた。念仏と唱題の違い、社会に与えた衝撃、“犬猿の仲”の理由など、今なお生きる両者の教えを比較すれば、日本仏教の奥深さと真髄が見えてくる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
樋口佳之
40
その思考を最下層の民衆にアピールするレベルにまで咀嚼する能力を、二人は持ち合わせていた。思想がいかに素晴らしくても、民衆に理解されないようでは意味がない。…民衆に理解されてもその思想に正当性と普遍性がなければ、実際の救済思想としては機能しない。/真宗王国で育った自分が浄土宗的な人間観倫理観に影響を受けている事を再確認するとともに、もし日蓮の教えの中で育っていたらどんな風になっていたのだろうと思いました。日蓮の仏教は自分にはとても異質です。歴史的に日蓮に帰依した人々が果たした行いの背景を理解できたかも。2019/07/11
trazom
35
法然と日蓮という、犬猿の仲といえる二つの宗派の比較。念仏か唱題か、本地垂迹を肯定するか否定するか、個人が先か国家が先か、現世否定か肯定かなど、対立的な要素は数多くあるが、私には、その違い以上に、既成の顕密仏教に対決した二人が同志に見えてくる。称える言葉に違いはあれど、最下層の人たちでも、称えさえすれば往生できるんだという「平等性・普遍性」こそ、二人がともに目指したものなのかもしれない。両者の共通点と相違点だけでなく、当時の仏教や社会の状況を見事に分析しているという意味でも、とても勉強になる一冊だった。2019/04/09
yutaro13
34
先日読んだ『浄土思想史入門』の著者による法然と日蓮の比較。詳しく知りもせず苦手意識があるのが日蓮や日蓮宗なのだが、法然や浄土宗との比較を通してその理由が少しわかった気がする。法然は自分自身が最低最悪の凡夫であるとの自覚から回心に至るのに対し、日蓮は苦難の中で自己への否定的省察を経てついには自らが「末法の弘通者」であるとの確信に至る。この日蓮の自己認識に見られるような、日蓮宗の持つ「絶対性」に違和感を覚えるのだ。そんな日蓮宗が受け入れられた背景と日本史上における役割については別の本で補う必要がありそうだ。2020/06/09
kawa
28
法然の「南無阿弥陀仏」、日蓮の「南無妙法蓮華経」、鎌倉時代の体制宗教から敵視迫害を受けた宗教者の比較を試みる。両者とも「地べたで這いつくばって苦しみもがく弱者に優しい眼指し」は印象的ながら、両者の深い思念から単純な念仏、唱題でオッケーというバイパスへの理屈が「いま三」くらい不勉強で消化不良。法然が個人・来世志向、日蓮は社会・現世志向の教えという点は、初歩的理解としては得るところありでありがたい。2023/07/08
ホシ
24
良書です。”南無阿弥陀仏”と”南無妙法蓮華経”って何が違うの?と思っている人は多いと思います。本書は法然・日蓮どちらか一方に肩入れすることなく、実に中立・客観的な立場から両者の思想の共通点と相違点を炙り出し、初学者にも分かりやすいように解説してくれます。私自身は「南無妙法蓮華経」は日蓮のオリジナルなのか?というのが長年の疑問でしたが、本書でそれが解決しました。立宗以来、犬猿の仲だった両派。現代においても確執はあるように見えます。お互いで啀み合う時代ではないからこそ、もっとこの手の本があっても良いかも。2019/03/31