内容説明
「これほどに怪しい天地の中にある、自分自身の不思議ささえ、知覚することのできない者」――江戸後期の思想家・平田篤胤は、不思議な体験を否定する人々を指してこう言った。合理主義と科学全般のもとで日本人が失いつつある霊性、その一方で、言いがたく身体に宿る無意識の古層……琉球弧の島々から北海道まで、土地と人と自然の中にある神々や死者を想い、古代から現代に連なるたましいの水脈を探す。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヨノスケ
11
題名から、興味本位で読み始めた新書である。現代の合理主義、経済本位の思考が身についてる自分にとって忘れてしまった感情があったようである。幼い頃の自然と触れ合った懐かしい思い出や、その土地の風習に宿る現実離れした違和感。霧がかかったように感じていた何気ない「あの世」と「この世」のあいだが垣間見える一冊であった。2021/11/28
かりんとー
10
(県立図書館)民俗学者谷川健一氏のめいであるゆに氏の民俗学紀行。いやあー、いいなあ。てか自分に似てる人がいるもんだ。私も民俗学やればよかったな~。2022/02/22
舟江
7
思っていたより硬い本だった。きっと切り口が違うのであろう。中には面白い話もあったが、消化不良で終わった。2020/02/23
たびねこ
7
著者は民俗学者・谷川健一の姪っ子。「あの世」と「この世」の間、「たましいのふるさと」を求め、沖縄から北海道まで、死者と生者の「境界」を行く。おどろおどろしい書名だが、開放的な感性で、楽しくも風変わりな「紀行文」という感じ。2019/01/10
東京には空がないというけれど・・・
6
霊魂の存在を理屈で論じることではなく、現代人にもある身体的古層や「野生」を感受することが重要ではないだろうかという指摘にうなづいた。森の中や川、海に行くと、ほっとするのは、自然の中に入ることで、自らの身体に備わった古代からの感覚を自覚するからなのだろう。長い間、人間は自然の中で、自然の一部として生きてきた。ビルや道路などの人工物の中で暮らすようになったのは、近代に入ってからで、まだ短い。「うちへ帰る」という「うち」とは何か。心が洗われるような1冊。何度も、読み直したい。2019/03/05