内容説明
思考の99%を支配する煩悩から解放されて軽やかに生きるために、米国で17年禅を指導した僧侶による対人関係が変わるヒント。
突然あらわれる怒り・妬み・孤独・怖気・心配・後悔……あの人、あのこと、反応する心を休ませる。
○かわいそうな「私」を断つ
○「ないもの探し」から身を引く
○自分を「守る言葉」を使わない
よけいなことをやめたら、心はラクになる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
太郎丸
9
仏教の精神に対するアプローチ方法はやはり非常に現実的で、有効だと改めて感じた。煩悩を抑圧や逃避でコントロールするのではなく、常に変化し続ける世界の中で起きる一つの現象として捉え、それが起こり、流れていくのを観察する。それができるようになることで、やがて煩悩に振り回されず、より深いレベルで生を身体的に知覚できるようになる。 ただ、これを意識のレベルだけで理解するだけでは、理想の自己像と現実のギャップに悩むと思う。その為に座禅という身体的アプローチが有効なのかな、と思う。体験してみたい。2020/08/23
Ryosuke Kojika
9
鼎談本から知った禅僧の1人。山口氏より藤田氏の方がしっくりきた。仏教の言葉から真理に向かおうとする姿勢が好きかも。というか、ブッダの言葉が真理ですかね。手垢にまみれた仏教用語の塵を掃除してくれている感じ。そして、永井哲学と仏教の親和性を感じる。〈私〉が存在していることに、宇宙の原理原則の一切の否定はない。さらに全肯定の存在としての〈私〉から外側を見るのではなく、内なる視点を持ちたい。俄然、坐禅に興味。ただあるがままな〈私〉を感じることはできるのだろうか。2020/06/04
Ryosuke Kojika
5
再読。ありのままを受け入れることが受け入れられない。前提として「諸行無常」への絶対的な信頼が必要なんだと理解。それがないと、痛みや感情に抵抗する。抵抗するとその痛みや感情が苦へとつながる。なるほどなるほど。その時に痛みや感情は存在するが、それが続くのが嫌だと思ってしまいがち。そして、それをどうにかしようと足掻く。足掻いてもそれ自体は取り去ることはできない。なんせ、私というのは一切の否定が付け入る隙のない自然の存在だから。自然な私が、意思によってどうにかなるものか。ここでも言いたい、その痛みや感情を味わう。2020/10/27
shimashimaon
4
小池龍之介と草薙龍舜に続き、わかりやすく仏教を説明してくれる著者に出会いました。アメリカで坐禅教室を開設していたという経歴から、英語を混じえた解説があることが特徴です。坐禅の心構えはRAIN。煩悩が立ち現れたら、Recognize(ただあると認める)、Allow(存在してもいい)、Investigate(なんであるのか探求する)、Non-identify(それらを自己と同一化しない)。呼吸に集中するとか決まったメソッドに従うマインドフルネスと異なり、仏教の坐禅は「しない」ことに着目するのだと言っています。2022/02/22
おさと
4
何事も自分が実際経験したことでないとわからないということがわかった。30歳頃、「死にたい」とまではいかないが「誰か殺してくれ」と思うような日々を過ごした。その状況から救ってくれたのは妻であり、近くにいる子どもたちだった。それからというもの「もし今日死んだとしてもいい人生だったといえるか?」と自問しながら生きている。その辺りから人生が好転していると感じている。まるでその時自分は一度死んだような感覚。今私は、辛いことであろうと、大変なことであろうと、とにかく何でも経験したい。逃げる限りずっと追われるのだから。2020/07/20