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内容説明
古来、「歴史のかげに女あり」と言われる。妖艶な美女が歴史を動かしてきた例は少なくない。だが、大事件、外交の舞台裏でより重要だったのは、いかに饗宴を準備するか。相手を懐柔するために、明治の主役たちが「おもてなし」のため頭を悩ませた美食とは。史料から明治の世界を生き生きと描き、52歳の若さで惜しまれつつ逝ったノンフィクション・ライター黒岩比佐子が、12品のフルコースで、歴史ファンをご接待!
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
まーくん
85
幕末から明治期まで、西洋に伍していこうと背伸びし頑張った日本人の姿を饗宴ーおもてなしの宴会を切り口に辿る。ペリー提督からアーネスト・サトウ、明治天皇、伊藤博文、ニコライ露皇太子などを主人公に12話。初めて英国公使に接見した即位間もない15歳の睦仁天皇は、眉を剃り頬に紅をさしお歯黒だったという。最後の元老西園寺公が首相の折、文士20名を「お話を拝聴いたしたく、粗飯を差し上げたい」と丁重に駿河台の自邸に招いたが三名が断った。そのひとり、漱石が辞退の返簡に添えた一句。”杜鵑(ホトトギス)厠なかばに出かねたり”。2020/10/06
パトラッシュ
57
外交交渉を有利に進めるため美食が不可欠なのはウィーン会議のタレイラン以来の常識だが、日本の食卓外交は聞いたことがなかった。まして幕末明治の動乱期になどあり得ないと思い込んでいたが、混乱の時代に幕府や明治政府が列強を味方につけようと外交饗宴に力を入れた事情が理解できる。徳川慶喜や維新の元勲らを料理の視点から見ると、舌の面でも大変革を経験した彼らの人間臭い側面が面白い。舞踏会で有名な鹿鳴館の晩餐や、明治天皇が唯一海外領土へ足を運んだロシア軍艦での午餐会は国の命運を賭けた食事であると歴史書に書かれる日は来るか。2021/03/04
yamatoshiuruhashi
42
読友さんのレビューで知った本。ペリーの押しかけ外交の折の互いの接待飯はどんなものだったのか。当時の日本の料理にペリーは満足しなかったようだが、それも当たり前だろう。文化の違いを人種の優劣と受け止めたのではないだろうかと私は想像する。にしても、それからあっという間に欧米外交団をフランス料理で接待できるようになるとは、当時の料理人もやるものではないか。西園寺公望に至るまで色々な外交場面、あるいは時の人の食べ物嗜好と連携した考察に興味深く読んだ。全く想像もできない料理もあるが、多くは腹の虫を誘う料理だった。2020/12/11
くまくま
8
開国から日本が列強としての歩むまで。時の外交政策が饗宴のメニューに反映されていることがよく分かる。欧化政策をとり、日本が一等国と認められるようになるための格闘の数々、鹿鳴館外交などは猿真似のようにしか思えないが、当時からすると欧米に追いつけと真剣だったのだろう。食に触れることでその人となり見えてくる。2019/11/08
見もの・読みもの日記
6
幕末明治期の11人を主役に、近代日本を左右した大事件を、接待や交渉のテーブルに並んだ料理から考える。日本の近代化(欧風化)を推進した井上馨、大倉喜八郎に比較的好意的な評価を与えているのが面白かった。伊藤博文の日本での最後の午餐が春帆楼の河豚チリだったというのを初めて知った。伊藤公、悔いはないだろうなあ。2020/03/29