内容説明
「不立文字」と言葉を突き放しつつ、「禅語」は真理を表すとも言う。禅はいかに言葉と対峙してきたのか。仏教史から迫る
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
黒い森会長
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仏教史の中での禅宗の位置を描くのが、メイン。ただ、その仏教史が個性的で面白い。大乗経の出現など、信仰者からしたら不満だろうが、部外者から見るとすごく面白い。日本の禅宗者も、道元、白隠、そして大拙を取り上げるが、大拙についての評価は厳しい。また、禅問答にしても、よくわからない、非合理だと言われているが、人と時と状況を考えれば、合理的!に解釈できるという立場のようだ。いろいろと勉強になる一冊。2021/11/08
正親町三条ペペ
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事実と解釈と感想と駄弁が入り乱れた、知的誠実さを疑う文体。洒脱か老獪か、あるいは自在の妙を気取るか知らないが、この手の本を取る人の中には、切実な思いを抱える人もいるはず。一刀両断の爽快さの裏側には、誠実さと真面目があるべき。血の払わぬ文字の羅列に見えるこれ、筆者はなにを届けたいのか。 2020/06/26
鯨、或は山田
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「(シナにおける)禅とはもともとの仏教、ブッダの教えに立ち返ることである。」これはもちろん、当時の仏教がいわゆるブッダの教えから逸脱していたからに他ならない。それに対するレジスタンスである。それは余計なルールだったり、余計な人員だったりによる歪曲なのだが、それらを注意深くこばむことが禅宗だと著者はしている。その論理は明解でわかりやすい。書き味がざっくりしているところはあるが、故に読みやすいとは思う。それにしてもここまで鈴木大拙・西田幾多郎をコキ下ろしているのは初めて見たけど。2018/06/18
zikisuzuki
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仏教というものが難解で分からない。そもそもブッダ自身が真理について語らず、解脱の心境を例えで語るのみなのだ。その後インド哲学や宗教の中に埋没し、中国で研究学問にされ、日本で見事な宗教法人化されてきた仏教、その中で禅はブッダ回帰を目指しながらも迷走することが宿命のようだ。そりゃそうだ解脱し仏になれるのは世界でブッダたったひとりなのだから。その心境に言葉は無くしかし生は有る(!)のならば縁起は言葉で繋いでいくしかない。禅問答の言葉の妙の中にブッダの心境の何が見えるのか・・・著者のボヤキばかりで埋め尽くされる。2018/02/02
ikeikeikea
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色々と難点の多い一冊。タイトルからは禅仏教史と思えるが、禅思想を説明しているページ数の割合はさほど多くない。また、著者の自分語りが多すぎる点もいただけない。次に著者の論述に説得力がない。例えばブッダが輪廻を説いた事を否定するのだが、成道したブッダが「我はもはや輪廻せず」と言った事を理由としている。成道したブッダが輪廻しないのは当然だろう。輪廻説が主流なのはブッダの死後すぐに輪廻否定説が失われたからだそうだ。それならば初期仏典にも輪廻が説かれている事を説明できるが、それ言い出したら何でもありになるだろう。2018/01/21




