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内容説明
日本人は、牛場信彦という外交官を覚えているだろうか。
戦前は「枢軸派三羽ガラス」の一人として、日独伊三国同盟を強力に推進。日本を戦争に追いやった一人とされた。
戦後は一転して「親米派」となる、経済外交で実績をあげ、外務官僚のトップである事務次官、さらには外交官のトップである駐米大使にもなった。
それだけではない。国際経済に強いところを買われて、福田赳夫内閣の対外経済相にも就任している。
彼のことを「変節漢」と呼ぶ人もいる。
本当にそうなのだろうか。
戦後日本に君臨した吉田茂は、「枢軸派」を激しく憎み、古巣の外務省から徹底的に排除した。「Yパージ」である。
しかし吉田は、いったん辞職した牛場が外務省に復帰するのを妨げなかったばかりか、バックアップした節さえあるのだ。
吉田は牛場の中に何をみていたのだろうか。
昭和という激動の時代を、「気概」をもって駆け抜けた男の生涯から、「国を愛すること」の本当の意味が見えてくる。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Willie the Wildcat
60
不変でない国家への不変の忠誠。結果、時に生じる周囲の誤解・偏見。所謂脇役となる官僚の悲哀は、現代も不変。少なくとも一本気なところが、時勢の変化に関わらず内外に”同志”を持つことができた氏の素養であり、資質と解釈。一方、結果論として、大なり小なりの大戦への責任を問われる立場となるのも仕方がない言動、そして判断。良くも悪くもその”脇役”に脚光が浴びることが、氏の国家へ果たした役割の意義を象徴。それにしても、胆力がないとやってられないよなぁ。2018/02/19
Miyoshi Hirotaka
19
前世紀のわが国の外交は日英同盟でロシアに対抗し、日独と日米同盟で共産主義に対抗するという流れ。牛場信彦が現役外交官として活躍したのが、日独伊同盟の推進と日米同盟への転換。気概に溢れた働きぶりと方針転換により、戦前は枢軸派、戦後は親米派というレッテルを貼られ、変節漢と揶揄された。人の生き方を決めるのは、若いときの経験。この方は、「暴徒部」と呼ばれたぐらい荒っぽい東大ボート部で鍛えられた。仮に、これを再現すれば、「ブラック」の一言で片付けられてしまうが、エリートゆえに耐えなければならない重労働を体で学んだ。2018/10/13
ヤギ郎
15
戦前戦中から活躍した外交官・牛場信彦についての一冊。戦前の外務省(外交官)の中では、親米派と枢軸派でわかれていた。牛場信彦は枢軸派外交官として外交政策に携わった。終戦を得て外務省から追放されたものの、しばらくして外交官として復帰した。「変節」と呼ばれながらも、「牛場流」の仕事術で日本外交を牽引した。牛場の生き方から、徹底したリアリズム・現場主義と人柄で勝負することを学べる。日本を「一流国」にするため、全身全霊で働いた外交官・牛場信彦についての一冊。良書。2020/10/05
千本通り
8
この本を読んでいると、どうしても牛場の自叙伝「外交の瞬間」を読まないと彼の思いや志が見えてこないと思い、途中からその自叙伝も並行して読んだ。彼はその後「対外経済担当大臣」にまでなるが、生涯一外交官であることを自負した。しかし「青雲の志を抱いて」とか外国に行きたいから外務省に入ったのではなく、就職の一つの便法だったと自叙伝に書く。そんな彼だったが、ドイツに赴任を命じられ日独防共協定の締結に尽力する。2025/01/10
Sumiyuki
5
白か黒か旗幟を鮮明にする。東京裁判で「枢軸派」として弁護に立ったとは、「敵」ながら天晴れ。同盟の密度。内外に強い外交官。自決できる一流国。@牛場は、人に、そして信条(イデオロギー)について、ひとたび「こう」と決めたら、容易に路線を変更しない。@戦後の牛場の中では、「大国」と「一流国」の二つが並存し、牛場が目指したのは後者、すなわち「一流国」だったという点だ。牛場の「リアリズム」、そして、壮士風な外貌の下で実は牛場の本質を形成していた「プラグマティズム」が、牛場をそのように導いた。2018/03/01
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