内容説明
“杳子は深い谷底に一人で坐っていた。”神経を病む女子大生〈杳子〉との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
278
1970年下半期芥川賞受賞作。選考委員の間で「杳子」と「妻隠」で意見が分かれたまま、決しかねて両作での受賞となった。委員の一人、川端康成はこのことに苦言を呈していた。私は、やはり「杳子」を推す。徹頭徹尾、暗い小説だが他には類を見ない独特のリアリティがあり、読者をも傍観者にはさせておかない迫力に満ちている。作中では「彼」と語られ3人称体ではあるものの、いつしか(あるいは小説の冒頭からすでに)我々は「彼」の視点と思惟にとり込まれることになる。そして、その視点から見る「杳子」に、はたして我々は何をなし得るのか。2013/12/30
遥かなる想い
240
第64回(1970年)芥川賞。 杳子(ようこ)という女性のひどく とらえどころのない、 危うげな存在が、 谷での出会いから、丹念に書き込まれた物語で ある。 背後に見え隠れする病の恐怖が、二人の恋に 適度な緊張感を与えている。 杳子と同居する姉の不可思議な存在感も なぜか 印象的な作品だった。2017/08/28
absinthe
153
重い話だった。彼は山で、杳子と神秘的な出会いをする。導入部から引き込まれる。情景が浮かびやすいが水墨画のように輪郭がぼやけていて、鮮明ではない。杳子は心の病を持っていたという話だが、暗くも重くもなりすぎない。純文学が苦手だが、これは強く引き込まれた。どこまでも、恋人の様な友達の様な、つかず離れず。病気だという言葉が何度か出るが、共感するにしたがってただの癖にしか見えなくなってくる。2023/04/03
パトラッシュ
150
心を病んだ人の孤独は昔から文学の題材となったが、その原因や引き起こした事件がテーマとされてきた。『杳子』では社会と折り合いをつけて暮らす女子大生が時折ふと噴出させる異常性を、やはり生きづらさを抱える青年の視点から見つめる。衝突や事件もなく静かに進み、恋愛とは言い難い付き合いから心の健康とは何かを自問して生に回帰する最後は美しい。ここまで静かな緊迫感で読ませる文章を味わう小説だ。名前は異なるが、そんな二人が夫婦として生きるのが『妻隠』の世界か。罪があるわけではないが漱石の『門』の宗助と御米を思い起こさせた。2020/11/10
はっせー
135
久しぶりに再読しないと全容がわからない本であった。全体を通して暗い世界観だが、読んでいてそこまで暗いきもちにはならない。そして文章の美しさが細部に渡っていた。杳子の話はとても考えさせられるものであった。主人公の男が山登りしているときにたまたま出逢ったのが杳子。この杳子は話を読み勧めていくと精神病の類だと気づく。そして主人公の男は杳子の保護者というより自分と同じ匂いをする人と接しているように感じる。ここからユング心理学のシンクロニシティを思い浮かべた。自分の心と杳子の心が深層心理で繋がっているのかなと思った2022/01/30