内容説明
桜を美しいと感じるのは自然の情緒なのか、そのように刷り込まれただけではないのか。記紀や万葉集から最近の桜ソングまで、誰も触れえなかった問い=タブーに歌人が果敢に挑む。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
sheemer
14
1987年のアニメ「源氏物語」を見て、六条御息所を象徴した桜の扱いに違和感を認め(自分の知る限り源氏物語ではそのような扱いも桜自体もあまりでてこない)桜の美意識がどう展開して来たかを調べて引っかけた本。万葉では農耕呪術的、古今集になり王朝文学的な美の記号となり、西行・新古今で王朝の終りと共に観念として詠まれ始め、江戸の国学を経て戦前に武士道から国家主義と結びついたこと、現代では薄味の自我と結びつきつつ自由になってきているが、いつまた国粋と結びつくかを懸念している。文章が白洲正子的にくっきりしていい感じ。2025/03/23
harukawani
6
「桜は本当に美しいのか」という題名通りの問いから、記紀、万葉集、古今・新古今、古典から現代の桜ソングまでを取り上げ、文芸において桜がどのような役割を演じさせられてきたかが論じられている。問いに対する解答は明確にされず、なかば強引な持論への持っていき方に不満もある。ただ、短歌や古典のことを知らないでも、興味深く読むことはできた。桜に関しては僕も思うところがある。あの儚い薄紅色に魅せられ人が集まることに、毎年なぜか怖さを感じているが、それは逆に「桜は本当に美しい」ことの証左なのかもしれない。2017/04/23
takao
2
ふむ2022/10/02
den55
1
我が偏愛する短歌人、水原紫苑の桜にまつわる短歌史、文学史。非常に面白い。恐れを感じさせる古代の桜から万葉集を経て紀貫之編の「古今和歌集」が語られる。それを「絶対的な王権による美の創造」だったと語る。古来の山中にあって恐れを抱かせる桜ではなく・・貫之の「かな序」がその宣言だったとは、どこの教科書にも書いてないことであった。次第に桜は山中から宮中へ下り、市井のものとなる。それは帝の政治なのであり、権力が介在するものであった。以下、日本史を辿りながら桜と文学が語られる。著者が思いの外反戦、アンチ安倍的で驚く。2019/04/24
そら
0
本書を読み始めたきっかけは、私が理解できずにいる桜の美しさが、どういった根拠で世間一般から認めらているのかを知りたいと思ったためである。 本書から一時的に逸れるが、実家の付近を散歩している折、山中に一本だけ桜を見つけた。花見文化に共感できず、桜並木を嫌悪してきた私であったが、この桜には純粋な美を見出した。 本書の中では、桜が国粋主義と蜜月な関係を築いてきた歴史が指摘される。この内容と前述の体験から、私が桜を嫌ったということについては、その権威主義的な側面を嫌悪したにすぎないのかもしれないと思った。2026/05/01




