内容説明
戦時下、畢生の大作『旅愁』を書いて東北地方の僻村に疎開していた横光利一は、そこで日本の敗戦を知る。国敗れた山河を叙し、身辺を語り、困難な己れの精神の再生を祈念しつつ綴った日記体長篇小説『夜の靴』。数学の天才の一青年に静かな共感をよせる『微笑』。時代と誠実に格闘しつつ逝った横光利一最晩年の2篇。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
76
横光利一は文章を以て戦争に協力したという理由で戦後、糾弾された文豪の一人でもあった。「夜の靴」はそんな彼の衝撃と疎開先での再生が描かれている。余りにもあけすけな言い方で村人から倦厭されている久右衛門に好感を抱いたりする姿は横光氏の無邪気さを表すかのよう。そして都市での食糧不足が稼ぎ時な田舎での様子は、昔、祖母の聞いた戦争中の田舎の話とピタリと合う。「微笑み」は殺人光線を研究しながらもその無垢さと人の良さで誰からも好かれた栖方。「狂気」だと言われた彼の純粋さと何かに左右される世の中の混沌さ。どちらも恐ろしい2018/12/29
イタロー
2
夜の靴……敗戦後の心の遍歴を、身を寄せた地方のとある村の素描とともに書いた佳品。皮肉にも、横光利一の良い面が十分に出ている。山形が舞台だが、弟子の森敦との関連もきになるところ。2021/11/16
ダージリン
2
横光利一の作品は久し振りに読んでみたが、これまで読んだ作品とは受ける印象が異なっている。もう少し観念的なものを予想していたが、特に「夜の靴」は肩の力が抜けたかのような作品。山形の僻村の人間模様や、夫婦の会話など、どこか瑞々しさを感じさせるような筆致だ。「微笑」の方は一風変わっていて妙な恐ろしさを感じさせて面白い。2018/01/14
Shue*
2
自分が戦後の横光文学に照準を絞って研究しようと志すに至った一冊。 「微笑」は横光の作品の中で最も好きな作品であるから、語るのを控えるとして、あれだけ戦争責任を塗りつけられた横光が、寒村で「夜の靴」を書き連ねたその思いを考えるだけでも、涙があふれる。 多くの示唆を含む名言で溢れた「夜の靴」。愛情を確かめ合う作業は平和裏の戦争であり、愛国か敵愾心かのどちらかに加担せずに戦時を免れなかった人たちの祈願が、不潔ではなかったという横光の、孤独な双眸が、目に浮かぶようである。2008/07/01
e.s.
1
話者にとって、青年・栖方は狂人でもあり、狂人でもない存在としてある。それは話者が関心をもつ「排中律」に矛盾した存在だ。作中の言葉で言い換えれば、零=中心からの僅かな視線のズレによって、運動が初めて見えるように、「排中律」の世界からズレた、「である」でも非「である」でもない視差的な存在である。栖方の「微笑」はその運動の残影としてある。また、その「微笑」は「排中律」化(米ソ二元化)する世界からズレる運動でもあろう。作中でも扱われる俳句とは、横光において、そうした運動の可能性をもつものだったのかもしれない。2015/05/08