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内容説明
四国松山の中学生高浜虚子(1874-1959)は,当時帝大生であった正岡子規とその友人夏目漱石に出会う.師との短いが濃密な人間関係-「子規居士と余」.虚子主宰の「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表し文壇にデビューしてゆく漱石-「漱石氏と私」.2人の希有な巨人との交流を綴る虚子ならではの回想録2篇を収録.
目次
目 次
子規居士と余
漱石氏と私
序
漱石氏と私
京都で会った漱石氏
解 説(紅野敏郎)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
クプクプ
63
この本は父が神田神保町で古本で買ってきたのですが掘り出し物でした。高浜虚子が正岡子規のことを書いた「子規居士と余」はわかりませんでしたが「漱石氏と私」は楽しく読めました。最初は夏目漱石が書簡で送ってくる出来のよくない俳句を高浜虚子が添削していましたが、「ホトトギス」に「猫」を連載するようになってから夏目漱石は世間でみるみる有名になり高浜虚子の手が届かない存在になったようです。書簡の中には夏目漱石が「草枕」のことを「明治の最珍作だ」と謙そんしている箇所もありました。高浜虚子のエッセイは素直な(つづく)2020/03/27
ゆうゆうpanda
42
子規と漱石。同郷の先輩二人との交流を描いた自伝。特に子規と虚子の関係について。野球などを通して友人を取り込んでいった子規。その抜群の人たらし力で7歳下の虚子をも魅了する。須磨の看病に当たったのが虚子というから、明らかな主従関係があるものと思っていたが、さにあらず。優男で意外とフラフラしていた虚子。しかし後継者になって欲しいという子規の頼みを一旦は断っている。隙があるようでないようで。人に慕われる点は子規にも負けていない。座の文学である俳句の後継者には才能だけでない魅力が必要。子規の目は間違っていなかった。2017/04/17
mikio
6
自分はたといどんな詰まらぬ句であっても一句でもそれを棄てるに忍びない。如何なる悪句でも必ずそれを草稿にかきとめておく。/たとい如何に沢山の句を作る人でも、その句を粗略にして書き留めておかないような人はとても一流の作者にはなれない。そういう点において私は欲張りである。(子規;P69)2022/08/05
ウイロウ
6
「子規居士と余」および「漱石氏と私」のカップリング。ただし二人に対する距離感には自ずから違いがある。同郷の子規とは交友歴も長く、当然付き合いも深い。途中確執はあったにせよ、子規臨終の席では母堂から「升(のぼ)は清(きよ)さんが一番好きであった」と言われた由。一方の漱石とは「疎きがごとくして親しく、親しきが如くして疎き」と虚子自身ビミョーな表現をしている。しかし最後に別章の中で披露されるエピソードが何か変。京都で漱石が見せた奇矯な言動を二つ報告しているのだが、オチも種明かしもないため一種異様な印象を与える。2015/03/25
遠藤三春
3
高浜虚子による、子規と漱石の回想。それぞれの人物の性格が出ていて興味深く読めた。外国に興味を持っていたのに、自身の病気から行けず、漱石たちからの手紙を楽しみにしていた子規が愛しくなった&漱石の手紙で時々見られるユーモアや淡白な感じが面白い。それにしても昔の手紙は語彙が豊富。風俗やらも今と違ってて興味深い。とりあえず、皆人んちに厄介になりすぎだろと(笑2011/05/23