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内容説明
1940年8月1日、「大東亜共栄圏」という言葉が外務大臣・松岡洋右によって初めて公表された。新秩序構想を支えるスローガン「八紘一宇」はどのような思想的・歴史的背景から出てきたのか。やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦に至る日本の針路はこの構想で想定されていたのか。200万以上の日本人に「南方」での生活を強い、東南アジアの人々に日本と日本人を目撃させた「外交政策」を検証する。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
小鈴
18
イデオロギーに彩られた「大東亜共栄圏」の再構成に成功している。これを超える本はなかなか出てこないのでは。一次資料と当事者が見た大東亜共栄圏とは。モンロー主義と同じ勢力圏程度の意味合いしかなかったものが、三国同盟を契機に広がるも概念は曖昧模糊のまま、実際に南方占領によって200万の兵士の体験とメディアを経由して南方を知る本土。大東亜に加入された国々の思惑と抵抗。敗戦で全てが無になったのか。アジア解放でも植民地支配でもない交流が今にも残る。本を閉じ、大きな物語の余韻にひたる。2016/10/09
かんがく
11
副題にあるように、軍人や従軍記者が南方世界をどう捉えたかを軸に、「大東亜共栄圏」を描く。空虚なスローガンである一方で、留学生など異文化交流の場となったという視点は面白かった。2020/11/19
さとうしん
11
本書で印象に残ったのは、東南アジアの人々を寛大に扱っているつもりの日本側と、現地の人々の感情が齟齬を来す部分。たとえば日本側がイスラム教・ヒンドゥー教など現地の宗教信仰を認める一方で、神社の参拝や皇居遙拝を彼らに求めてその矛盾に気付かなかったり、日本へのフィリピン人留学生が、医学などの専門分野に加えて修身も学ばされることに対して、「私たちは日本精神を学びに来たわけではない」と、英語で不満を示す話などが紹介されている。この手の寛容に見せかけた無理解は、現代の日本にも残っているのではないか。2017/01/02
Happy Like a Honeybee
9
冬季開戦の理由とは。タイと大日本帝国との軋轢が興味深い。獄中にあったプロレタリア作家を、南方へ送るくらい人材不足?日本の歴史としては自壊した大東亜戦争。東南アジアからの視点では宗主国との勝利と呼べるのか。2016/12/03
見もの・読みもの日記
5
そもそも「八紘一宇」も「アジアの解放」も空疎なスローガンだったにもかかわらず、現場で否応なく「異文化体験」をさせられた人々の中から、戦後、日本と東南アジアの豊かな交流が花開いたというのが感慨深くて、最終ページでちょっと涙が出た。2016/10/21
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