内容説明
「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」である。作家はそれぞれ「ドーダ」を表現欲として書き続けてきた。
小林秀雄の文章は難解である。「なぜ、小林秀雄は分かりづらいのか」。そこから本書はスタートし、小林のコンプレックスを突き止め、偉大な文学者の本質を軽やかに衝く。難解な小林秀雄の文章が身近に感じられる、読みはじめたら止まらない文学論、かつ、コンプレックスにがんじがらめになった小林を身近に感じ、苦手意識が薄らぐ、読み応えのある小林秀雄論。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
harass
69
自己愛の強い著名人を、東海林さだおのエッセイから借りてドーダの人と名付け、論じていくこのシリーズは今回小林秀雄を取り上げる。難解な評論の小林のスタイルや友人河上徹太郎の本や証言から小林の考え方などの秘密を探る。小林と言えばランボーの翻訳が有名だが誤訳が多く、小林の個性が反映され創作に近いものだそうだ。しかし、独特の魅力があり心酔者が多くいた。自分もそうで全集を持ってたりする。正直、評論にしては荒くふざけた口調であるが、斎藤環の日本ヤンキー論が援用されたりして知的娯楽読み物として非常に楽しめた本だった。2017/06/18
Haruka Fukuhara
5
へえ、鹿島先生、小林秀雄も読めないのか、といった感想。丸谷才一の場合、読めないから批判したわけではない気がするけど。読めないから批判しますと言われても読めてしまう(or読めた気になってる)人はどうすればいいんだろう。というかなんというか、ちょっと期待と違う本だった。末尾の一文「そう、批評とは他人の作品をダシに使ったドーダ(どーだ俺すごいだろ参ったか)なのである」これはそうだろうと思う。2017/03/26
いのふみ
3
10代中ごろから20代はじめくらいにかけて、小林秀雄を絶対視して、小林秀雄のような文章で思考していた時期があった。その後、実際は何も理解していないのではないかと気づき始めるのだが、そういう自分を殴り殺してくれた一書。また、小林秀雄の陰に隠れがちであった河上徹太郎の株が急上昇する一書。でも、ロジックを追うのに割と難儀する。レジュメ作りながら読みたい。2019/04/15
hasegawa noboru
3
戦後文学者の戦争責任を問われて、反省したい奴はすればよい、俺は反省しないと啖呵を切って居直った人だ。カッコいい!わかりにくい文章を、そのわかりにくさゆえに、ちっとも理解できないのに感心し、崇め奉る傾向が、半可通の似非文学愛好者にはあってかつての私もそうだった。吉本隆明、初期柄谷行人、またしかり。他人をダシに己を語る「ドーダ、俺は凄いだろうの人」という観点から小林秀雄をぶった切る。わかりやすくて、面白い、新鮮で痛快な、切り口だ。2016/09/11
あ
2
それでも俺は小林秀雄を読むだろうな2016/10/01