内容説明
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシア思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ehirano1
288
感無量でした。「人の作った罰からは逃れられても、罪を犯したという苦しみからは逃れられない」というポルフィーリのキラー台詞が印象に残り、エンディングで迎えたシーンでは「罪は罰を以て償い、罰は愛を以て支えそして再生へ導く」ということなんではないかと思いました。つまり、「罪」「罰」「愛/再生」という三位一体説に被せてきたところが秀逸過ぎ!2024/10/14
absinthe
286
お前が何をしたかすべて知っているぞ。恐ろしいつぶやきが聞こえてくる。飲んだくれの独白。何ページ続くのか?この内容が凄い。人間の怠惰、傲慢、不安。全ての人に共通する心の内面が暴かれる。主人公に救いはあるか、希望はあるか。生涯の友の一冊。
absinthe
274
罪の意識や人への思いやりなど人間に好ましい性質のいくつかは、進化上は恐怖心から発達してきた可能性があるという。集団からつまはじきにされたくないという恐れかもしれない。ラスコーリニコフの心理も多くは言いようの無い恐怖心に見える。単純に牢屋が嫌だとか、死刑が嫌だとか、程度の低い人間から質問攻めにされるのが嫌とか、理屈で説明がつくものとは明らかに異質。日常の中で観察される心では、恐怖と思いやりは別物だが、極限の状態に置かれたとき、心の根底に張り巡らされた絡み合った根があらわになる。 2019/11/17
こーた
212
おれは殺人の罪を悔いているのではない、罪を犯したことに耐えられなかった、己の卑小さを悔いているのだ。若者はみなどこかで、自分は何者でもない、偉大な人間などではなかった、ということに気づき、それを受け入れることでようやく、他人を、また自分も愛せるようになるのかもしれない。多くの者が、ひとしく経験する挫折。その経験は、なるべくなら早いうちにしておいたほうがいい。できれば人を殺してしまう前に。それでもこの青年の場合、八年の刑期をおえたあとでも、まだいまのわたしより若いのだ。まだ、やり直せる。だから、⇒2018/08/17
れみ
212
自らの理論のもとに高利貸しの老婆を手にかけたラスコーリニコフはポリフィーリィやスヴィドリガイロフとの対決や娼婦ソーニャとの出会いを経て自らの身を司法の手に委ねるにいたる…というお話。出口の見える気配がなく鬱々としつつも、そこを経て最後には少しの希望が見えた気がした。でもきっとドゥーニャやラズミーヒンを含めて決して平坦ではない道のりが待っているんだろうなあ。ドストエフスキー本人や交流のあった人々の人生や思考が登場人物たちの姿を借りてひとつな大きな物語に練り上げられて昇華したという感じ。2016/09/19