内容説明
「わたしにはおっ母さんがいなかった」
明治四十二年、上州からっ風の吹く小さな村で生まれた母テイは、米寿を過ぎてから絞り出すように語り始めた――生後一か月で実母と引き離され、養女に出された辛い日々を。そして故郷をいろどった四季おりおりの行事や、懐かしい人びとを。
新緑の茶摘み、赤いタスキの早乙女の田植え、家じゅうで取り組むおカイコ様。
お盆様にお月見、栗の山分け、コウシン様のおよばれのご馳走。
初風呂と鮒の甘露煮で迎えるお正月様。
農閑期の冨山のクスリ売りと寒紅売り、哀愁のごぜ唄。
春には雛祭りの哀しみがあり、遊郭での花見には華やかさがあった。
語る母、聴き取る娘。母と娘が描きあげた、100年をけなげに生きた少女の物語は、色鮮やかな歳時記ともなった。
2010年に刊行以後、さまざまな新聞・雑誌に書評が掲載され、NHK「ラジオ深夜便」での、著者の「母を語る」も評判となった。多くの感動と共感を読んだ物語の待望の文庫化。新たに、足利高等女学校の制服姿のテイや家族写真、また新渡戸稲造校長の女子経済専門学校での写真などを掲載。解説は中島京子。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
佐々陽太朗(K.Tsubota)
109
ここに書かれているのは、寺崎テイという明治、大正、昭和、平成を生きた一人の女性の生涯だが、ただそれだけでなく、明治、大正、そして昭和初期の貧しいが誇り高く生きた日本人、それも特別な人ではなく一般庶民の暮らしぶりである。ものが豊かで便利な現代にあって、当時の人々の姿はなんとつましくも凜としたものだったのかと、我が身を省みて甚だ決まりが悪い。皆が生きていくうえでどうしようもないことも起こり得ることを知りながら、お互いを思いやり精一杯生きる姿に目頭が熱くなりました。2016/08/25
あつひめ
66
点訳予定本下読み終了。歴史に名を連ねる人よりも普通の人の普通の暮らしこそが時代を詳しく物語っている気がする。実母との別れや里子体験など辛い体験をしながらも健気に生きるテイ。帰るべき場所があったテイは辛い中でも恵まれていたのかもしれない。100年の歳月の中で四季折々のつつましい暮らしぶりが、もしかしたら自分の祖父母たちも似たような体験をしていたかもと思いを巡らす。子供の頃聞いた蚕の葉を食む音が蘇る。こうして語り継がれることで大切な心も語り継がれていくような気がする。一日一日大切に生きなくてはと思った。2018/06/11
saga
60
明治42(1909)年生まれの女性・テイの生涯。明治になって40年以上が経つにも関わらず、今から100年前の農村部には良くも悪くも江戸時代の匂いを感じる。農家としての歳時記は、いろいろな神様への感謝と、過酷な労働の繰り返しだ。農家へ嫁いだテイの母が、婚家と馴染めずに生んだ子を手放してから、テイには生家を継ぐこともできない運命が待ち受けていた。しかし、天は彼女に勉学の才能を授けた。読んでいてこちらも救われる思いだ。コロナ禍が過ぎたら「高松村」を訪ねてみたい。2020/07/21
AICHAN
55
図書館本。タイトルを見たときは100年前の女の子の暮らしぶりや考え方などを一般論として紹介したものかなと思ったが、明治42年、栃木県の農村に生まれた寺崎テイの人生を小説風に仕立てた物語だった。テイは著者の母上である。テイは幼くして実母と別れ継母に育てられる。私の姉も幼くして養女に出されたので、他人事とは思えず読んだ。2020/01/22
あつひめ
49
点訳入力完了。5歳で養女として家を出されたテイ。米を研いだり、水汲みをしたり。働き手として数えられている。5歳…私の5歳の孫を見ながら思う。こんな小さな子を手放すヤスおばあさんの不安と悲しみ。そして、名前すら出てこないテイの実母。乳飲み子と離れたときにどれだけ乳が張り苦しかっただろうか。その苦しみよりも嫁ぎ先に戻りたくないという気持ちのほうが強かったのか。みんなが負わなくてもいい苦しみを抱えた。四季折々の行事をこなしながら生きている人々。テイの心根の良さ、腹違いの妹たちもよい人で良かった。努力家のテイ。2020/08/28