講談社学術文庫<br> 中央アジア・蒙古旅行記

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講談社学術文庫
中央アジア・蒙古旅行記

  • ISBN:9784062923743

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内容説明

13世紀の中頃、ヨーロッパ人が相次いでモンゴリアの奥深く入っていった。教皇インノケンチウス4世の命を受け、あるいはルイ9世の書簡を携えて、「地獄(タルタルス)の住人」の地へと中央アジアの乾燥帯を苦難と危険を道連れに歩みゆく修道士たち。勢力を西へ拡大中のモンゴル帝国で、また本営カラコルムで、彼らは何を見、誰に会い、どんな宗教や風俗に触れたのか。2人の修道士それぞれの見聞記。

目次

はじめに
第一部 プラノ=カルピニのジョン修道士の旅行記──「モンゴル人の歴史」
序 章
第一章 タルタル人の土地、その位置、地勢、気候
第二章 タルタル人の風采、かれらの衣服、かれらの住居・財産・結婚について
第三章 タルタル人の神の礼拝、かれらが罪悪とみなすこと、占いとお祓い、葬儀そのほかについて
第四章 タルタル人の性格、良い点・悪い点、かれらのしきたり、食物そのほかについて
第五章 タルタル人の帝国のおこり、その首長たち、皇帝および諸侯たちの行なった支配
第六章 戦争、タルタル人の戦闘隊形、武器、交戦におけるかれらの狡猾さ、捕虜にたいする残虐さ、防禦施設への襲撃、かれらに降服したものへの背信そのほかについて
第七章 タルタル人の講和のしかた、かれらの征服したくにぐにの名前、その住民にたいして行なう虐政、および、タルタル人に勇敢に抵抗したくにぐに
第八章 タルタル人と如何に戦うべきか、タルタル人の意図、武器と軍隊組織、かれらの戦闘における狡猾さに如何に対処すべきか、宿営と都市との防備、タルタル人の捕虜をどう扱うべきか
第九章 わたしどもの通過したくにぐに、それらの位置、わたしどもが出会い、わたしどもの言葉を裏づけしてくれる人たち、タルタル人の皇帝およびその諸侯たちの宮廷
第一部 訳註
第二部 ルブルクのウィリアム修道士の旅行記
第一章 ガザリアの地区
第二章 タルタル人とその住居
第三章 タルタル人の食物
第四章 タルタル人の、コスモス酒の醸りかた
第五章 タルタル人の食べる動物、その衣服、その狩猟
第六章 男の頭髪の剃りかた、女の身の装いかた
第七章 女たちのつとめ、タルタル人の仕事
第八章 タルタル人の裁判と判決、死と埋葬とについて
第九章 野蛮人のもとへのわたしどもの到着、かれらの忘恩
第一〇章 スカタタイの本営。ここのキリスト信者はコスモス酒を飲まない
第一一章 聖霊降臨の大祝日の前日に、アラン人が一行を訪れる
第一二章 洗礼を受けたいと言ったイスラム教徒、レプラのように見えた人たち
第一三章 一行のなめた苦難、コマン人の墳墓
第一四章 サルタクの領域とその住民
第一五章 サルタクの本営とかれの豪奢さ
第一六章 一行が、サルタクの父、バアトゥのもとへ行くよう命ぜられる-他-

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

トムトム

19
なんかスゴイな。チンギス・ハーンが支配していたモンゴル帝国、いや、アジア大陸を旅したヒトの日記です。私の日記も後世の人が読んだら文化的に貴重な資料になるかな?欧州と亜細亜の間にオスマン帝国があったから、欧州は遠回りしてアメリカ大陸を発見したり。人間観察が趣味ですとか言っている人がいるけれど、まず歴史を学ぶべきだと思いました。2023/05/26

ポルターガイスト

2
前から読んでみたかったプラノ・カルピニとルブルックの旅行報告書。授業で使うための史料集めとして。カルピニはともかくルブルックは性格悪いな。笑2023/05/24

feodor

1
プラノ・カルピニのヨハネスは教皇インノケンティウス4世の命でグユク・ハンのもとへ旅する。モンゴル人は他民族を下に見て、折り合うことが難しいと判断したプラノ・カルピニはモンゴル人の風習や制度を紹介しようとして書いた報告書「モンゴル人の歴史」。ルブルクのギヨームは仏王ルイ9世の私的使者としてバトゥの子で、キリスト教徒の噂のあったサルタクを訪問する旅から、結果グユク没後モンケ・ハンの登位するクリルタイを訪問したあたりを克明に描いた旅行記。ネストリウス派の存在、宮廷の描写などおもしろかった。モンゴル史も興味深い。2016/07/20

周参見

0
旅行記として読むと少々面白みに欠ける。しかし、13世紀半ばの歴史書としてみると、いろいろ分かり面白い。日本では貞永式目の頃、モンゴルについて詳細に記述した文献として非常に価値がある。2016/07/30

Lunta

0
13世紀にモンゴルまででかけたヨーロッパ人修道士たちの記録。一人はローマ教皇のお使いでいわば敵情偵察、もう一人はフランス王の親書を携えての布教目的。征服した土地の住民を殺戮しまくったモンゴル人だが、その「宮廷」にはイスラム教徒やネストリウス派キリスト教徒もたくさんいて、修道士たちもそれなりに歓迎されるのが意外。その寛容性は現実的なメリットを期待してのものだっただろうが、異教徒よりもむしろネストリウス派をボロクソに言うカソリック修道士の狭量よりまともに思える。2019/06/30

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