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内容説明
自己の完成を願う、教養観を覆す画期的論考。哲学のすべてを修め、最後に靴直しの仕事につく――江戸時代や西洋中世の学問のあり方、公共性と「世間」の歴史的洞察から、集団の中で生きる教養の可能性を探る。(講談社現代新書)
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Piichanの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さきん
29
都市生活圏の発達が自然を客体化し、キリスト教の浸透から近代化への過程で社会がシステム化して個人が客体化していく。日本はキリスト教に染まる歴史を経ていないために近代社会の建前と太古から続く世間を併存させてきた。著者によると教養があるとは、世間を認識し、世間の中で、世間を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威に頼ることなく、自らの生き方を通じて周囲に働きかけることとしている。 2018/05/03
メガネ
17
最後まで読んだとき、「世間とは何か」って言う本を買ったんだっけ?と表紙を見直しました。教養があるとは世間にあって、世間をかえる位置にあって、既存の制度、体制によらず自らの生き方を他者に響かせていく人を指すと締めくくられています。前半の公共性についてと後半の個人なき社会としてのアイスランドサガの考察のつながりは不明瞭に感じました。教養とは何かという問いに対してのアプローチとしての公共性は知識というのが以前は囲われた物だったという点から来るのかなと思ったのと、以前大学の講義で考えたときには、2015/09/04
ヤギ郎
16
阿部謹也先生による「教養」についての新書。『「世間」とは何か』の続編的位置づけ。近年、「教養」や「教養主義」という言葉をよく見かける。本書前半では、「教養」が出現する前には「啓蒙」があり、そして近代西洋思想の流入によって日本の「教養」が形作られていることをしめす。「教養」の本質には「私とは何か」であり、「私」という「個人」に重きが置かれているところがポイント。「私」と反対軸に位置する「世間」へ目を向けるところは阿部先生らしい。良書。2020/02/26
Kei
16
吉茂の生涯で注目すべきことは若いときに寺子屋に行くよう勧められながらもそれを断り、算術の勉強も断って農業ひとすじに働いた点である。生半可な学問は鼻を高くさせるだけで、百害あって一利なしとされている(45頁)。教養の始まりは「いかに生きるか」という問いを立てたことにあった(54頁)。「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうとしている状況」を「教養」があるというのである(56頁)。私たちは「世間」の中に原始的な生の規範を閉じ込め、そこでのみ無理の2016/08/10
うえ
9
「欧米は圧倒的な文明の力をもって我が国に圧力をかけてきた。それは単に軍事力や合理的な法体制だけでなく、フランス革命を経て身につけた人権理念を表面に掲げたものであったから、抵抗のしようがなかった。明治時代に欧米を訪れた政府の要人たちは欧米の社会の基礎をなしている理念の圧倒的な力に感嘆を惜しまなかった。武力だけの圧力なら抵抗のしようもあったであろうが、否定し去ることのできない崇高な理念が掲げられたとき、その前にひれ伏すしかなかったのである」○教養の有無を、自らの所属する世間を変えてゆく位置に立つ人と述べる2017/10/22
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