内容説明
朝鮮事変を契機として、再び動揺しはじめた世界情勢のなかで、当時、日本の誠実な知識人は、どのような方向へと動かんとしていたのか――。日本脱出を夢みる木垣が、去就を決する、まさにその土壇場まで来て、初めて日本人としての自覚に到達しながらも、なおたゆたわざるを得ない孤独な姿を、清新なタッチで描きあげて、異常な感動を与えた、昭和二十六年下半期の芥川賞受賞作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
120
1951年下半期芥川賞受賞作。佐藤春夫や川端康成等、選考委員の多くから高い評価を受けての受賞だった。物語の構造は、19世紀末フランスのユーモア作家アルフォンス・アレエの『腹の皮のよじれるほど』と同じ。今、聞いている物語が、まさにそのものだというもの。すなわち、私たちは読者であると同時に、まさにこの小説の生まれる瞬間に立ち会っている目撃者でもある。世界情勢の混沌としていた1950年を描くが、主題上の核となる言葉は、"commit"。おそらくはサルトルの"engagement"を作者流に受け止めた結果だろう。2014/03/23
nobody
16
国際政治=動乱=戦争=怪物であり、旧オーストリー貴族の闇ブローカーティルピッツはそのメタファーだ。生身の人間はそれにcommitし、手を汚さねば生きていけない。御国は言う、「生活をするということは手を汚すことだ。僕たちはあらゆる組織の中にいる必要がある」。commitとは同時に任意(フィクション)から特定の人物になるということ。木垣と京子は手を汚すことを拒んでティルピッツからの1300ドルを焼き、組織に属することも拒んでブエノスアイレスへの脱出を目論んだ。しかしそれは生活それ自体からの逃亡でもあったのだ。2016/10/31
風に吹かれて
14
“Stranger in Town”・・・意訳して『広場の孤独』。現代人は、just standing alone だ。しかし、どのような在り方で生きていても時代にcommitしているのが現代人なのではないか。たとえ政治に無関心であるとしても、無関心という形でcommitしている、あるいは、何らかの操作によって無関心に方向づけられているのかも知れない。Strangerであるなら、時代にどう自分はcommitしているのか、現代社会に至った歴史も見据えながら自分の立ち位置を見定めようという決意の小説。2018/09/02
ykshzk(虎猫図案房)
12
昭和27年芥川賞受賞作。山崎豊子の「二つの祖国」でも感じたような、自分の居場所への煩悶と覚悟。冒頭の注釈にも文中にも度々出てくるcommit、commitmentという単語は、個人的にはぴったりな日本語が解らずもどかしい言葉。欧米人は理屈抜きで解るのだろうか。”commit suicide”等でさえ私は違和感を感じるけれど、根底にキリスト教があれば当たり前なのだろうかとか、考えてしまう。要再々読だが、酔った一人の青年が読む「雨ニモマケテ 風ニモマケテ・・」の詩は今の時代の我々にも刺さる内容なのではと思う。2019/08/05
東京湾
12
(図書館本) 日本は誰の味方でもない―戦後間もなくの朝鮮戦争勃発の動乱の中で、主人公・木垣が直面した孤独とは。何となく食指が伸びたので読んでみたのだが、難解な面は多かれど、なかなか興味深く読むことができた。当時の日本、世界の戦争観や、木垣を取り巻く様々な人間の思想など、戦争のことだけでなく、日本という国、そして世界について、今までの自分にはなかったまったく新しい知見を得ることができた。人間的理由から始まって非人間的な結果に終わる動乱… しかし幾分かの消化不良感は残っているので、いずれまた読んでみたい。2016/04/27