講談社現代新書<br> 弥生時代の歴史

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講談社現代新書
弥生時代の歴史

  • 著者名:藤尾慎一郎【著】
  • 価格 ¥935(本体¥850)
  • 講談社(2015/08発売)
  • ポイント 8pt (実際に付与されるポイントはご注文内容確認画面でご確認下さい)
  • ISBN:9784062883306

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内容説明

AMS炭素14年代測定に基づき、水田稲作の開始は従来よりも500年早かったとした国立歴史民俗博物館の研究発表は当時、社会的にも大きなセンセーションを巻き起こしました。発表時には当時の常識からあまりにもかけ離れていたために疑問を呈する研究者も数多くいましたが、その後、測定点数も4500点ほどまでにと飛躍的に増加を遂げ、現在では歴博説の正しさがほぼ確定されています。では、水田稲作の開始が500年早まると、日本列島の歴史はどのように書き換えられるのでしょうか。一言で言えば、「弥生式土器・水田稲作・鉄器の使用」という、長らく弥生文化の指標とされていた3点セットが崩れ、「弥生文化」という定義そのものがやり直しになったと言うことです。この3つは同時に導入されたものではなく、別々の時期に導入されたものでした。例えば鉄器は水田稲作が始まってから600年ほど経ってからようやく出現します。つまりそれ以前の耕作は、石器で行われていたのです。また水田稲作そのものの日本列島への浸透も非常に緩やかなものでした。水田稲作は伝来以来、長い間九州北部を出ることがなく、それ以外の地域は依然として縄文色の強い生活様式を保持していました。また東北北部のように、いったん稲作を取り入れた後でそれを放棄した地域もありました。関東南部で水田稲作が始まるのは、ようやく前3~2世紀になってからでした。とすると、これまで歴史の教科書で教えていたように、何世紀から何世紀までが縄文時代で、その後に弥生時代が来ると単純に言うことはできなくなります。水田農耕社会であるという弥生「時代」の定義は、ある時期までは日本列島のごくごく一部の地域にしか当てはめられなくなるからです。本書は、このような問題意識の元で「弥生文化」が日本列島に浸透していく歴史を「通史」として描く初めての本です。(講談社現代新書)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

六点

119
「歴史の常識」がどんどん書き換えられているのは、わかっていたが、登呂遺跡のイメージをメインに捉えていた六点の歴史観は、大きく覆された。考古学についてはズブの素人であるのだが、鉄の精錬技術が後進的な、淡路島に五斗長垣内遺跡のような大規模な遺跡があるのは良くわからなかった。それは別として、長い長い歴史に置いても有為転変があることに趣を感じた事であることだよ。2023/01/11

白義

19
弥生時代だけで新書一冊というのは本書が業界初の試みとのことで一般的にその内実までは意識の向かないこの時代を鮮やかに描いていて読みやすい。一口に弥生時代といっても九州に水田稲作が普及してから他の地域に拡散するまでに数百年以上平気でかかっていて、その数百年の間は他の地域は縄文文化が色濃く残っていたりこの時代においてすら地域ごとの多様性が激しく一口にまとめることが出来ないことがよく分かる。そんな1200年に及ぶ弥生史を各遺跡から当時を考察する形でまとめていて、具体的な弥生人の姿や新たな謎を想像しやすくなっている2020/09/21

fseigojp

18
弥生の始まりが従来の起源前5世紀説から10世紀説に書き換えられ、縄文に弥生が徐々に浸透していく過程が詳述されており興味深かった とりわけ鉄の入手が権力を規定したのでなく、祭祀を中心とした権力構造が鉄の流通を把握したとの論考は面白く、前方後円墳の普及がそれの象徴であったと!2018/05/14

月をみるもの

13
鉄器や鏡の分布に基づいて、倭国という統一国家は、政治とか経済とかいった下部構造ではなく、祭祀/古墳という上部構造の発展によって形成されたのではないか、、、という仮説は説得力がある。2020/09/27

おせきはん

13
水田稲作が目的ではなく、青銅器を祭器として崇め、社会統合の象徴とする社会を造り、維持する手段だったと知り、個人的には水田稲作の広がりに数百年を要したことが納得できました。2019/04/02

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