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内容説明
「君が代」は議論の絶えない歌である。明治早々、英国王子の来日で急遽、国歌が必要になる。しかし、時間がないため、『古今和歌集』の読み人しらずの短歌に鹿児島で愛唱されていた「蓬莱山」の節をつけて間に合わせたのが「君が代」の誕生だといわれる。以降、1999年に「国旗国歌法」で法的に国歌と認められるまで、ライバルが現れたり、戦時下には「暗すぎる」、戦後には「民主国家にふさわしくない」と批判されたり波乱が続く。最近では、教育現場での「君が代」斉唱が再び問題視される。日本人にとって「君が代」とは何なのか? 気鋭の若手研究者がその歴史をスリリングに繙く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おかむら
41
国歌「君が代」を調べてみた本。そういやいつからあるのかよく知らないや。成立過程がわりとテキトーなとことか、認知されるまでけっこう時間かかってるとことか、へえ!って面白い。やはり戦争で政治利用されたあたりからイメージ悪くなるのな。戦後はまたじわじわと巻き返していく様もなるほど。そして「児童生徒の多くは思想信条というより思春期特有の恥じらいから事実上君が代を歌ってないと思われる」ってのは確かにな。そしてそれ思春期特有でもないかも。私も更年期ですがなんか歌うの恥ずかしいもん。大声で歌えるのは森元総理くらい?2016/08/07
ころこ
32
良くいえば国家意識、悪くいえばナショナリズムは内発的に醸成されるのではなく、アンダーソンの議論を待つまでもなく外部のスイッチのようなものが国旗と国歌であるといえます。両者はナショナリズムを喚起しますが、同時に近代性も醸成する両義的なシンボルです。中でも国歌は身体に宿り、天皇を歌う歌詞という反対派の強い忌避感は無意識のうちにその威力を警戒する直感に基づいているといえます。平準化され細分化された近代社会が帰属意識を持つことを前提とすれば、つくられた自己意識を分析するのは我々が講じられる最も近代的な手立てといえ2021/02/25
niisun
24
たびたび議論を巻き起こす国歌「君が代」ですが、その何たるかは意外と知らないものですね。既に1999年に「国旗国歌法」の制定によって国歌としての地位は確立されましたが、運用に関しては賛否様々ですね。この本は、その賛否を問うような内容ではなく、「君が代」というものがどのように生まれ、今日まで受け継がれてきたのかという基本的な部分をまとめたもの。斯く言う私もまったく知らなかったので、とてもためになりました。良く言われるように、無関心が一番良くないですからね。知るところから始めたいものですね。なにごとも。2016/01/23
おっとー
11
創造された伝統。そもそも君が代の詞は「君(≠天皇)」の健康を願うもので、それがナショナリズムの高揚とともに天皇の永続を願う意味となった。成立はもちろん明治時代。しかし、海軍省の製作から始まって、文部省作の君が代など、ライバル曲との争いを征するまでには紆余曲折があった。いや君が代の種類多すぎ…。さらにはメディアの未発達な中で君が代をどう普及させるかという問題も立ちはだかる。しかし、その中で生き残ったこの歌は非常に強靭なのである。国歌という呪縛にとらわれず、右も左もちゃんとこの曲の歴史を理解しないと。2018/02/25
kanaoka 57
9
君が代は、古歌の伝統と雅楽・洋楽のハイブリッドを活かし、時間をかけて国民に根付いてきた歌であり、日本のかけがえのない文化遺産である。しかし、軍国主義、植民地支配に利用された苦い歴史があり、また、歌う事の強制自体が、屈辱的、暴力的であり、近代が生んだ呪縛である。著者は、君が代を、近代国民国家形成のための「歌う国歌」から、その国・国民が辿った歴史の正負の両面を真摯に受け入れる「聴く国歌」への移行を提言する。式典において、君が代を静かに聴く姿勢は、国家を愛する人々、国家を支える人々への尊重のマナーともいえる。2017/01/17