内容説明
◆待望の第二句集!
心は、以前にも以後にもうつる。それは感情に限らず、見える、聞こえる、匂うといった感覚に関しても。ときに心は、未来の出来事を先に見ることでさえ、ある。─今のこの出来事は、いつか遠い昔にも見えていたし、これからずっと先にも、また新たに聞こえ続けるだろう─
この句集はいわば、心の編年体による。
(あとがきより)
風船になつてゐる間も目をつむり
人参を並べておけば分かるなり
まなうらが赤くて鳥の巣の見ゆる
こほろぎの声と写真にをさまりぬ
上着きてゐても木の葉のあふれ出す
南から骨のひらいた傘が来る
ひあたりの枯れて車をあやつる手
うすぐらいバスは鯨を食べにゆく
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あなた
4
「毛布から白いテレビを見てゐたり/鴇田智哉」。何年も頭にとり憑いて離れない句。眼の真空状態、見ることの空白がここにはある。テレビの画面が白いのか、テレビ自体が白いのか、しかしだからといって何が写っているのか、なにも見ていないんじゃないか、しんでんのか、けれど毛布からと測定可能な眼のベクトル。だれが・なにを・どこから・なんのために・見ている/いないのか。見る、ということの、眼のまっただなかのゼロの中に、この句は読む者を巻き込みながら滑空し続けてゆく。見る、ってなに、だれ、という俳句究極の問い。2021/11/10
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3
事物から事物へ、あるいは事物から動作、動作から事物へ飛躍していくときに、それが単なる比喩としてでなくなにかはっきりとかたちをもって(同時にかろやかに)重なるときの光景が、とても清々しいものだった。2021/05/29
haikaino
1
好きです2019/02/22
komamono_rimi
1
鴇田智哉と望月遊馬に通底するものを感じる。これは比喩ではないのだ。彼らには本当にこうみえているのだと実感したとき、驚嘆した。もちろん、わたしにわかったのは全ての句などでない。一部だけれど。彼の句を読んでると時空がゆがむ。具合がわるくなる。(褒めてます)2018/10/25
Cell 44
1
「円柱は春の夕べにあらはれぬ」「まつくらな家にとんぼの呑み込まる」「顔のあるところを秋の蚊に喰わる」「まばたくと手の影が野を触れまはる」「うすぐらいバスは鯨を食べにゆく」駄目だ、全部好きだ。日常も非日常も何か特別な呼吸をしてこの世界がある。2015/01/21