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内容説明
20世紀初頭に日仏両国に勃発した二つの事件。冤罪被害者は、なぜフランスでは救われるのに、日本では救われないのか? 二大事件とそこに関わった人々のドラマを比較し、日本に潜む深刻な問題が白日の下にさらされる。「日本」という国家はなくても、日本という「社会」は存在できる。永井荷風の悲嘆を受けて、「共に生きること(コンヴィヴィアリテ)」を実現するための処方箋を示す、日本の未来に向けられた希望の書。(講談社選書メチエ)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
30
コンヴィヴィアリテとは共生だが、日本語なら社会(性、17頁)。デュルケームの実証主義的社会学:ゾラの自然主義文学の社会科学版(56頁)。国家権力にとって人間社会は必要ない。理念的にない方が好都合。人権を破壊、無視するのが通常、本質。国家と社会は対立する(66頁)。社会制度はあくまで生のための道具(74頁)。永井荷風にとっての芸術は、人の生きる様そのもの。人が人として生きることが生きた悲しい詩(105頁)。国家は制度であり組織(119頁)。2015/06/18
SOHSA
24
《図書館本》プルースト『失われた時を求めて』に繰り返し取り上げられるドレフュス事件について掘り下げたいことが本書に惹かれた主な動機であった。ドレフュス事件発生の要因と背景、顛末について漠然とは理解していたものの深くは理解できていなかった。本書はドレフュス事件をメインに語られたものではないが、概ね期待していたものは得ることができた。著者の主張する国家、共同体、社会の区別には今ひとつ腑に落ちない点もあったがむしろ本書の主題とする大逆事件の起きた日本との対比は興味深かった。2023/05/07
かもめ通信
16
『失われた時を求めて』からの派生読書。ドレフュス事件のことを知っておきたくて。2021/02/07
ヒナコ
14
「社会的なもの」を考えるべく、読んでみた作品。 本書は、フランスにおけるドレフィス事件と、日本における大逆事件という二つの冤罪事件と、冤罪事件の被害者を擁護したエミール・ゾラと永井荷風とを比較しつつ、フランスと日本におけるヒューマニズムの発展の違いを考察したものである。 ドレフィス事件が起こり、フランスの知識人たちはドレフィスの無罪を訴える言論戦を展開させた。その一人がゾラであり、彼はドレフィスがユダヤ人であることから寄せされた偏見を、人権思想に戻づいた万人の平等の理念で批判した。→2022/07/19
Tom
7
その通り!としか言いようがない。日本人の失敗や貧困を「自己責任」に帰する態度も、日本に社会がないことを物語っていると言えるだろう。日本人はまず近代的な民主主義や基本的人権の概念の勉強からやり直したほうがよろしい。そうしないことには日本は滅びる。ゾラの引用文を読んでて、何度も涙が出そうになった。今度、著作を読もう。昨年やってたドレフュス事件の映画『オフィサー・アンド・スパイ』を観てなかったので観よう。最後は天皇制への批判なのだが、日本「国民」として躾けられていることこそ、まさに日本人の他国人、とりわけ→2023/01/22