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内容説明
「なぜ人を殺してはいけないのですか?」──従来、当たり前だと思われていたことにまで理由を説明しなければならない時代。「善きこと」に対する信頼が、すっかり失われてしまった時代──そんな現代だからこそ、「善」とは何なのか、その根拠は何なのかを考えてみることが必要なのではないでしょうか? 本書は、気鋭の禅僧が、仏教の立場から現代における難問中の難問に果敢に挑む問題作です。根拠なき不毛の時代にこそ必読! (講談社現代新書)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
姉勤
37
ネットの炎上や、マスコミ発信のバッシングに見られる見苦しい行為を容認してしまうのは、批判者が「善」であり対象者が「悪」である前提があるから。 しかし、仏教の立場から見れば、善も悪も自他の関係性に依存する根拠のないもの、「空」に帰してしまう。絶対神が保証する一神教の善に対し、涅槃に至るという曖昧なものを目的にする仏教が、なぜ戒律を定めるのかを、表題に絡め前半で解説し、後半は対話方式で一つづつ解答していく。わかったような、わかってないような気分を残して、寝かしておく。 2016/07/08
さっちも
23
過酷なニヒリズムの先に、ほの明るい希望の光を提示され嬉しくなる。無意味、無根拠、無価値、いいじゃないか。依拠すべき何モノもないという自覚からの跳躍こそが、仏教の目指す主体だと思う。それは所詮、縁起のパラダイムからみれば「他者に課せられた自己」という、括弧つきの主体にすぎない。さめた自覚のうえで、それを受容し、維持しつつ、解消しようという意思によってのみ「善」が維持される。「因果」を頼りにこの切なくもろい営みを続けることが、「無常」の倫理を標榜する仏教の善行なのじゃないか。驚くべき密度の本でした。2019/03/17
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19
真の殺人鬼は「あの質問」をしてはこない。(小説を持ち出していいかわからないが)『マリアビートル(伊坂幸太郎)』の王子も、心の片隅で止めてほしかったんだろうか▼子どもを「授かる」と呼んだ時代は後景に退き、「つくる」そして「注文する」のが当たり前になる時代へ。愛の互酬性(「愛されたから愛する」「愛しているから服従させる」)も厄介な問題だけれど、これからは「コスパ」ばかりが声高に叫ばれる時代になるとすれば、その方が悩ましい。2018/07/30
ねこさん
18
善も悪も、他者との関係性の中でしか生じ得ない。著者は、他者から課された自己を覚悟をもって再受容し、能動的に行為することが善であり、拒否が悪と言う。人の社会的行為は復讐と贈与で分析可能だと、僕自身は思う。つまり善とは、未来の自己を含めた未存在の他者を絶望させないためだけに贈与に身心を投じること、具体的な対象を持たず、報酬を想起せず、作為なく。その回収の見込みのない互酬性の中にある時間が善で、対して無自覚な復讐、生い立ちや過去の不足、損失の経験を回収しようとする行為、善の看過という選択の時間が悪になると思う。2022/05/29
さっちも
13
もっと集中力がある時に読みたかった。経験的にも、思考も追いつかなかったけど、著者の本が語りかけるところが、今自分に一番に響く命題やなと思う。岡本太郎美術館で見たのだけど、父親が不倫を続ける妻の(太郎の母親)について、「かの子の業を全て受け止めようと思う」というような事を息子に手紙を書いていて、なんだか泣けた。太郎親子は不倫相手と同居を続けていたのだけど、、、、良い悪いで裁断するのは簡単で、愛してるとか、いつか変わるとかの互酬性も違う。親子という関係を救うという行為に身を投げだす感じに感銘を受けた。2017/06/07