内容説明
これぞ、梅棹の学問のありかたの神髄! 「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識はあるきながらえられる。歩きながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている」(「福山誠之館」より) (講談社学術文庫)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
39
碩学の日本旅行記。とはいえ単なる旅行記ではなく、それぞれの章が文明論、文化論として読む事が出来る。最初の福山誠之館こそ福山の歴史案内の観を逃れる事が出来ていないが、続いての大本教から弾圧された新興宗教としてではなく、世界を舞台にした宗教という一面を考察している。北海道では中央と周辺、官と民を考え、高崎山では一つの学問の成立とそれにかける情熱を追っている。いずれも興味深く読めるが、ただやはり北海道とか名神高速道路を読むと隔世の感があるなあ。日本列島改造を経た現在の状況を、著者ならどう見るのであろうか。2015/02/26
まふ
7
梅棹忠夫が専門の文化人類学とりわけ「文明の生態史観」によって開発した世界文明の第一地域第二地域論の応用も含めて独特の発想から日本の各地を分析したものであり、「福山誠之館」「大本教」「北海道独立論」「高崎山」「名神高速道路」「出雲大社」「空からの日本探検」を含む。どれもが面白い独自の論理であった。福山誠之館は明治維新の日本欧化中央集権国家への地方の柔軟な対応であり、また基本的には日本の文化歴史が常に二重性を持っていたことの証明でもある、という点において卓抜した観点である。2020/02/28
my
5
梅棹先生の、なんと幅の広い知恵だろうと、改めて感銘。藩校の歴史から北海道のパイロットファーム、高崎山の猿から出雲大社の結婚文化の成り立ちまで。好奇心の感度の高さに、脱帽です。そしてなにより、1960年に刊行されたものとは思えない、今でも色あせることのない斬新な切り口。堅苦しい、証拠を集めたようなものではなく、事実に基づいた類推が物語のように展開されていきます。それは、論文だけでなく、自らの足でフィールドワークにいったからこそ、自分の言葉で語れるのだと、感じました。2019/02/17
紙狸
4
単行本は1960年刊行。未収録の稿を含めた文庫本は2014年に出た。梅棹忠夫が日本各地でフィールドワークをする。この本で確認できた梅棹の思考パターンは、欠如の発見だ。日本の1950年代の自動車道の貧弱さを論じた章で、西洋と違って、日本では馬車がなかった点を指摘する。西洋では馬車道が自動車道の前身となったのだ。日本のサル学研究者は、西欧の学者と違って、観察するサルに名前をつける。サルにより近しい。彼我の違いの背景は、キリスト教文化圏か否か、だけではない。欧州には自生のサルがいない。日本にはいる。2019/07/01
ぼび
2
4/52016/02/29