内容説明
デカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツ。この大哲学者たちには教科書ではとうていわからないアブなさと魅力がある。2+3=5なのは、神がそうしたからであって、2+3=6の世界だって神は創造できるのだ、と、デカルトは本気で考えた。この世の現実はぜーんぶ神でできている、とスピノザはいう。何かを行為したら、後からそのつもり(意志)はなかったとは言わせない、というのがホッブズの国家論。神と国家の哲学とは。
目次
第1部 デカルト(確実性に取り憑かれて 不可能に出会うこと ほか)
第2部 スピノザ(光がそれ自身と闇とを顕わすように 「現実」を作ってみる ほか)
第3部 ホッブズ(国家論へ―ホッブズとスピノザ 哲学はシミュレーション ほか)
第4部 ライプニッツ(ライプニッツ、あるいは世界の修復 スピノザの崖っぷちから引き返す ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
非日常口
20
ドイツ30年戦争からウェストファリア条約により国民国家が誕生し近代は成立した。その時代にいたデカルト(確実性と不可能性)、スピノザ(必然性:現実=自然=エチカ)、ホッブス(取り消し不可能性、Jusを自然法/自然権に分ける)の思考はどうやら存在の大いなる連鎖を切断する方へ向かったようだ。そうしてバラバラになったつながりをライプニッツは多重パースペクティブでモナドによって再構成させる。個人的には現象のまっただ中にいるモナドはプラネタリウムというより世界劇場な印象も受ける。2014/09/21
ころこ
13
バロック期の哲学者4人を取り上げたエッセイです。4章立てになっており、デカルト、スピノザ、ホッブス、ライプニッツに各章を充てています。エッセイと言っても、各哲学者のステレオタイプの印象を解体させるために工夫しており、読み易くはありません。各章に跨いで、例えばデカルトとスピノザを比べたり、スピノザとホッブスを比べたり、ライプニッツとデカルトを比べたりしています。特にホッブスの社会契約論は、物体論、人間論の射程に国家論としての社会契約論があるということで、先々「リヴァイアサン」を読む際の示唆を受けました。2017/11/20
hakootoko
6
最高に勉強になる。最高に面白い。これのあと『カントからヘーゲルへ』を読んで思ったのは本書はそれのオマージュ?なんというか、両書ともに最終章に入るとエモくなるように書いてある。ライプニッツはエモい。19世紀版でねえかな。2021/11/17
♨️
4
デカルト、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツに関して、その思想の吟味をしつつ、4哲学者の間で継承された問題圏について考える。デカルトが自然のうちに「われ」という飲み込まれない堤防を打ち立てようとしたのに対して、スピノザはそれを飲み込む「自然」を描いた。一方で、ホッブズは自然ではなく、全体を「人為」で飲み込もうとする哲学を、シミュレーションとしての哲学を組み立てる。必然主義と心身二元を、信仰の修復のために解消しようとしたのがライプニッツである。可能世界、最善世界、モナドはそのように読まれる。2021/09/09
hryk
1
デカルト、スピノザ、ホッブズが破壊した世界をライプニッツが修復する、という見方はなるほどと思う(単に後に生まれたライプニッツが先行世代を批判しただけとも言えるが)。著者のこれまでの研究のダイジェストでもあるので、本書だけではわかりにくいところもある。ホッブズの「残りの者」の話はあの説明だけでは理解できないと思う。『精神の目は論証そのもの』などを読んでおいた方がよい。2014/02/01